Subject:
詩篇5篇 平地の説教、山上の説教の最初との関係(ケイヤ)
From:
Date:
2003/10/17 17:27
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは、+KannoKeiyaです。

詩篇5篇には今日の通読で読んだルカによる福音書6章にある平地の説教と似ている部
分がある。

平地の説教とはマタイによる福音書5-7にある山上の説教の短いものであるが、マタ
イによる福音書5:1では「山に登って教えられた」と書かれているのに対して、ルカ
による福音書6:17では「山を下りて平らな所で教えられた」と書かれているので、平
地の説教と呼ばれているようである。マタイと同じ時のことをルカが書いているとい
うことも考えられるが、これはたぶん同じような説教を別の時にしたというように考
えるほうが良いと思う。

山上の説教と平地の説教には構造など違う所もありますが、基本的には同じことを話
している。

主イエス・キリストはまず説教される時に山上の説教では9つ、平地の説教では4つの
幸いな人を列挙しているが、両方の1つ目と最後は同じポイントを言っている。その
最後のポイントの部分には最初の詩篇5篇と似ているテーマがでてきる。それは言葉
による攻撃である。クリスチャンであるがために迫害される時に幸いであるというこ
とが書かれているが、ここで大切なのは迫害する時には言葉で攻撃しているというこ
とである。山上の説教ではののしり、悪口雑言、平地の説教でははずかしめ、けなし
などが迫害と一緒の分類になっている。これは詩篇5篇の時から変わっていない。し
かし、このような攻撃にあっても「喜ぶ」ことができるのは、天に報いがあるからで
ある。

次に私たちの先祖たちも同じような迫害を受けたと書かれているが、聖書のストー
リーを見るとよく分かる。最初から敵は偽りでアダムとエバに対して攻撃し、イスラ
エルという国になっても周りの国からラブ・シャケなどによって言葉の攻撃を受け
た。パウロも自分の同国人であるユダヤ人によって訴えられ、偽りの証人によって何
度も曲がったさばきを受けた。

また両方の箇所に預言者という言い方がでてくる。これも言葉と関係がある。預言者
たちは真理(偽りの反対)のみことばを伝える者として主から使わされた。しかし、
悪者たちは最初から預言者に対して攻撃する。サタンは善と悪の知識の木の実を食べ
てはならないと最初の預言者アダムに対して言われたのに、それは偽りであると言
う。そして預言書の中でもエレミヤなどは毎回殺されそうになったり、真理を伝えて
いるのに偽りだと言われたりしている。そして最終的に預言者の成就である主イエス
・キリストをも攻撃し、殺してしまう。

平地の説教では4つの幸いに対して4つの哀れがある。それは1つずつ対比されてい
る。幸いな者は貧しい者、飢えている者、泣いている者、迫害されている者である
が、哀れな者は富んでいる者、食べ飽きている者、笑っている者、ほめられる者であ
る。この最後の対比が興味深い。幸いな者は攻撃され、迫害されているが、哀れな者
はほめられている。彼らはにせ預言者であり、預言書に書いてある者たちのように
「平和である」と言い、そのような偽りの預言によって裕福になっているのである。

最終的に偽り者は主の御前に立つ時にさばかれ、地獄に行き、そこで報いを受けるこ
とになる。しかし、真理を告げる者たちは天の御国に行き、そこで報いを受けるので
ある。

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+KeiyaKanno
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