39と40篇の作文を送ります。
39篇で学ぶべき事
39篇の学ぶべき事、それを見るためにはこの詩篇の中心を見ることである。まず目立つ言葉を見てみると次のような
言葉がある。沈黙、気をつける、一生である。この中でも目立つ言葉は沈黙という言葉である。今週問いをやった結
果みんな二節の沈黙するという所に問いを出していた。そこで二節の注訳を見てみると詩篇92:1、147:1の
二つの個所があった。そこはまさに主の恵みに感謝してほめ歌う所であった!!ではそれはなぜ、どのように39:
2節の良い事に沈黙するという事につながるのか?ここを直接的に見ると、主に感謝することにさえ黙っていたよう
なふうに見える。しかし、この話は自分を制する話なのではないかと僕は考えた。なぜかというと一つはこの二節の
前の場所に罪を犯さないようにという個所があり、そのあとの個所には齢の話が出てくるからである。なぜそれを見
たかというと、罪を犯さないように気をつけるそれは自分が栄えていることで高慢にならず(これは齢の話につなが
る)へりくだるということである。このことを見るときに連想する個所はマタイ6章の偽善者のようであってはいけ
ないという個所である。彼らは地上に宝を蓄えているが、誰がそれを集めるのかを知らない者たちです。これらをま
とめると私達の望むべき方は主であるということがはっきり明確に分かる。これらが私達の学ぶべき事である。
40篇で学ぶべき事
40篇で学ぶべき事を見る為に最初にこの詩篇のテーマ、構造を見てみる。僕の考えた構造は 1-2主に信頼
3-賛美
4-6主の御心
7-12隠さない
13-15主の御心
16-賛美
17-主に信頼
なぜこの構造を書いたかというとこの詩篇を学ぶべき事を見る為には詩篇の中心を理解しなければならないからであ
る。この構造の中心は7-12隠さないという所である。問いをやった結果みんなが注目したのは12節のこのとき
まで悔い改めなかったのか?という問いだった。このところを見るとき直接的に書いてはいない事が分かる。ここを
考えるとここは自分をへりくだっていっているのではないのかと思った。なぜかというと、一つはこの詩篇に多く出
てくる主の義についてであって、主の義について書いてあるそのすぐあとに12節のことが書いてあるので、主の完
全さが良く強調されているからである。二つ目は8節の主の御心を行う事は喜びこの主の御心、それは義である、な
ので、それを行うという事は悔い改める事だからである。その様に見るとここは完全に直接的には書いては居ない事
が分かる。これらのことによって分かったこの詩篇の中心、そして学ぶべき事は主の義を行う事は喜びだという事で
ある。
Kento aoki
Kento RP