Subject: 詩篇8篇 対比 |
From: "Miwaza Kanno" <miwaza@kanno.com> |
Date: 2003/11/12 12:05 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
みーちゃんです。 詩篇8篇の外と対比しました。 ■人とは何者なのでしょう?: 人とは何者なのでしょうか?という個所を見るとき。ヨブの個所を思い出します。ヨ ブはここで、実際に人間は何者かと言うような、むなしい状態になっています。8篇 では、たとえとして、この言い方がでてきますが、詩篇の中ではもう一度この言い方 が出てきます。それは、144篇です。144篇には指の話も出てきます。神様はわ たしたちの指を青銅の弓を引けるようにすると言うところで、指を鍛えると言う話が 出てきます。 ■ヘブルでの引用個所: 人とは何者なのでしょうか?という個所は新約聖書の手紙の中にもでてきます。それ は、ヘブル2:6-8です。そこで、著者は8篇の引用について、こう言っていま す。 万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。 それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見て はいません。 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ていま す。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。 その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの 子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされた ということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいこ とであったのです。 ■冠の話(すこしだけ): このように、ここに栄光と誉れの冠についての説明もありますが。詩篇の中で、神様 が与えてくださると言う冠は、恵みとあわれみの冠と言うのが多いようです。 -------------------------------------- :: Miwaza Kanno :: miwaza@kanno.com http://miwaza.com God be with you :) --------------------------------------