Subject: 詩篇9篇と詩篇10篇の対比(ケイヤ) |
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Date: 2003/11/19 13:19 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+KannoKeiyaです。 詩篇9篇と詩篇10篇の対比をしました。 9篇は救われたあとに感謝している状態の詩篇であるが、10篇はまだ救われていない 状態である。9篇は救われたあとの話であるが、最後にまた救いを求めている。しか し、10篇は最後に救われている。それでカンノパパの構造では入れ替え構造になって いる。 まず10篇の最初で詩人は悪者が目には目、歯には歯のさばきをされるようにと求めて いるが、主はその祈りを聞き、その願い通りにさばき、悪者は自分のわなによって滅 びた。 9篇では3箇所に賛美、感謝の言い方があるが、10篇には特にそのような言い方はな い。唯一16節に確信があるというぐらいである。 10篇で敵は攻撃しているが、彼らは神は詩人を忘れていると考えている。それで攻撃 してもさばかれないと思っていたが、9篇で敵はさばかれ、貧しい者たちは救われて 主に覚えられている。そして主は悪者を忘れてしまうのである。それが彼らに対する さばきである。 詳しく見ると興味深いのは悪者は永遠に裁かれないと6節で言っているが、主は彼を さばく時に永遠に悪者の名を忘れて、消してしまう。 この詩篇から分かることは主のさばきは高い者、栄えている者を低くし、低くなって いる者たちを高くしてくださるということである。 -------------------------------- +KeiyaKanno mailto:keiya@kanno.com http://keiyakanno.com/ May God Bless You! --------------------------------