Subject:
いのちのことば社 新聖書講解シリーズ 詩篇12篇 富井悠夫著
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2003/12/10 11:46
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

注解書の、白本を見て、まとめました。

■題:

混じりけのないことば

■内容区分:

1-4節 人のことばに対する訴えと祈り
5-8節 神のことばの純粋さと確信

■講解:

1節の聖徒とは、神の恵みを覚えて、忠誠を尽くす信仰者のことで、神を恐れて、恵
みを施す者のことである。同じ1節の「誠実な人」とは、アーメンである人、真実な
人とのことを指している。(*ネヘミヤ記のクラスで、ヘブル語で、「真実」という
の は、「アーメン」という動詞であるといっていた[ネヘミヤ記9:7-8参
照]。

2節には、当時の不信仰の姿が話されている。欺き、陰口、偽りの舌、へつらう口の
害毒は箴言26:19-28で述べられている。

3節で、ダビデは、「へつらいのくちびる」と「傲慢の舌」を結びつけている。これ
は自分のことしか念頭にない者が、自分の力を誇って、権力を使おうとして、ことば
を巧みに用いていることを指している。

4節は3節に書かれている傲慢の舌の内容である。詩篇73:8-11にその恐ろし
さが述べられている。

5節は神からの答である。神は、イスラエルの民がエジプトで奴隷状態に置かれて、
苦しんでいた時に、嘆きの声を聞かれて下ってこられたように、主は立ち上がって、
「求める救い」に入れて下さる。

6節では、神のことばの純粋さが表現されている。「混じりけのないことば」とは、
偽りではないことば、確かなことばという意味である。神のことばの純粋さを言い表
した箇所として、詩篇18:30,119:140,第二テモテ3:16,第一ペテ
ロ2:2を挙げることができる。

7節と8節は、信仰者の確信が書かれている。これは神のことばに基づく確信ととっ
てよい。

このような時代の中にあって、信仰者は、傷のない神の子供となり、いのちのことば
をしっかり握って、世の光として輝くために選び出されて、守られていることを自覚
する。そして、コロサイ4:6の約束に心を向けて、「御霊の与えて下さった剣であ
る、神のことばを受け取って、「聖徒」としての戦いを続けることができる。

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