Subject: 詩篇14篇の研究で学んだことのまとめ |
From: "+shinya@kanno.com" <shinyaML@kanno.com> |
Date: 2003/12/26 11:13 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
+ちゃんくんです。 詩篇14篇の研究で学んだことをまとめました。 詩篇14篇には「NO,いない」―「All,すべて」ということばがたくさん出てくる。 愚か者は神はいらない、神はいないといっている。 神はいないとここではやくされているが英語だとNO GODなので神はいらないでもいみ はかわらない。 構造は4節をどうするかで意味はかわってしまう。 4節を前につけるのか、後ろにつけるのかである。 4節を前につけるより、後につけたほうがいいとカンノパパは言っている。 13篇も14篇も問題があっていつまで、いないだとか前半で言って、 その後にちょっと何かがあって、結論になってしまう構造である。 13篇も14篇の構造に似ている。 それを見るときに15篇も9篇ぐらいからもつながっていることが分かる。 14篇には「いない」ということばが4回も出てくる。 13篇にも「いつまで」ということばが前半に4回出てくる。 そこで私たちはもう一回13篇を見たら、 13篇は「神はいない」というだいになる。 14篇のほうは「善人はいない」ということがポイントである。 なぜ、善人がいなくなっているかというと、 神様がいないかのようであるかである。 それで悪者は神様が善人とともにいることを知らないので、 民を迫害し、パンを食らうように民を食らう。 その悪者はばかで、愚か者である。 それはローマ3:10-18を見ればわかる。 その愚か者とはカインとアベルのストーリーを考えることができる。 カインの子孫は増え、地上は暴虐で満ちていた。 最終的に8人だけを守り、あとはみなさばかれた。 確かに神様は避け所であり、正しい者とともにおられ、 7節のかいけつは善人がいなかったのが返され、 善人がいっぱいになる。 ああ、イスラエルの救いがシオンからくるように。 主がとりこになった御民を返されるとき、 イスラエルは主の御名を喜ぶように。 アーメン。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ -------------------------------------