Subject: 詩篇41編『かかと』について |
From: "Saito@COSMOS" <cosmos@ca2.so-net.ne.jp> |
Date: 2001/07/01 1:43 |
To: さいわい ネット <saiwainet@egroups.co.jp> |
さいとうパパです。 斎藤家では『かかと』について学びました。 『かかと』というと皆さんすぐに思い浮かべるのは、創世記3:15ですよね。 そして詩篇41:9がヨハネ13:18に引用されているのがフットノートから 分かります。(子供たちは見なくても分かりましたよね。斎藤さんは。。。) 『かかと』をオンラインバイブルで探してみると、詩篇に4カ所出てくるのが分かり ます。 そのうちの一カ所は41:9ですが、他には 56: 6 彼らは襲い、彼らは待ち伏せ、私の「あと」をつけています。私のいのちを ねらっているように。 77:19 あなたの道は海の中にあり、あなたの小道は大水の中にありました。 それで、あなたの「足跡」を見た者はありません。 89:51 主よ。あなたの敵どもは、そのようにそしり、そのように、あなたに油そそ がれた者の「足跡」をそしりました。 日本語だと「かかと」とは出てきません。足跡になっています。 しかしそれぞれの詩篇を見てみると共通のキーワードが出てくること、内容がよく似 ていることが分かります。 特に89篇は40篇に出てくる新しい歌のような詩篇です。 一つ前の88篇では「あなたは愛する者や友を遠ざけてしまわれました」と書かれて います。 これからも3巻の終わりは1巻の終わりと似ているのが分かります。 でも違いもあります。それはすぐに分かります。なんでしょう? そう。「幸いなことよ」で始まっていないことです。 カンノパパが言われるように、第1巻の肝は「幸いなことよ」です。 弱っている者に心を配る人・・・山上の説教へのつながりを連想します。 ヨハネ13:18は詩篇41:9を引用しています。 ここはイスカリオテのユダの裏切りの箇所です。その後に続く箇所ですが、 キリストは食事を共にし最良の弟子であったユダが出ていった後、このように言われ ます。 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いな さい。 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、 それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるので す。 13:34 もしあなた方が私を愛するなら、あなたがたは私の戒めを守るはずです。 14:15 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、私を愛する人です。私を愛する人は私の父 に愛され、 わたしもその人を愛し、私自身を彼に現します。 14:32 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中 にとどまりなさい。 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまる のです。 それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまってい るのと同じです。 15:9ー10 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわ たしの戒めです。 15:12 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めで す。 15:17 互いに愛し合う者たちは、キリストを愛し、キリストに愛され、御父に愛される。 キリストにある完全なさいわいな者である。ということでしょう。 ダビデはまさにキリストのひな形です。 キリストはダビデ王の系図の者としてお生まれになり それだけでなく、ダビデの祈りの成就としてこられたことが良く分かりました。 そしてダビデが一番に望んだ「主と共に住む」ということが完全なる姿で成就された ことも。 主が与えてくださった互いを愛する戒めを堅く守ることが出来きますように。 さいわいネットを通しての学びが、主をほめたたえ、互いに愛し合うものとなります ように。 今日、クリスチャンカレッジを卒業した聖徒たちが、兄弟姉妹を、キリストを愛する 者として これからも成長できますように。 松田さんの新しい出発を主が祝福してくださいますように。 アーメン アーメン 一巻の終わりの記念として 在主。