Subject:
詩篇16篇 3-4節の意味
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2004/01/07 12:37
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

詩篇16篇の構造を考える時に、3節と4節の意味が分からなかったので、注解書を
見ました。

■白本:

3節の「地にある」という表現によって、信仰の戦いの中にある仲間を意識している
と考えられる。信仰の喜びは地上の信仰者との交わりを通して与えられる。救いと確
信の根源である主への信仰は、聖と威厳を表す同じ信仰者の群れによって励まされ、
強められる。「聖徒」とは、主が聖であられるように、自分を聖とする者のことで、
具体的には、主のことばに従い、主に向かって自分を分離し主に結びつくこと、「聖
別」である。ダビデが信仰の仲間をすぐれた者、大いなる者と評価し、交わりを大切
にしたことは122,133篇にも見られる。

4節には不信仰者との交わりを避ける根本的な理由が述べられている。それは、他の
神を礼拝することが、悲しみをもたらすからである。世にある限りは、信仰のない者
との交わりは避けられないが、それが他の神々への誘惑とならないように注意が必要
である。主を他の神と変えた者は、失望と悲しみに陥ることになる。「痛み」とは、
偶像礼拝から出てくる不道徳な行為や、物質的な考え方から来る精神の苦痛等を指す
と考えられる。「痛み」は「偶像の神々」という意味もある。それで、真の唯一神を
捨てる者は、偶像の数を増し加えて、ますます腐敗していくという意味にもなる。い
ずれにしてもダビデはそのような異教的な礼拝や、礼拝者との交わりを注意深く避け
ることを告白する。

■緑本:

緑本は3-4節を一つの区切りとして考える。そして、聖徒の交わりという題を付けて
いる。

「痛み」は創世記3:16に同じことばが出てくる。「苦しみ、産みの苦しみ」と表
すことばと言われる。神の聖なる人々に対して他の神に信頼する者は、そのことに
よって悲しみに見舞われる。詩人は彼らの礼拝にあずからず、儀式に参加しない。
「血の酒」とは、注ぎのささげ物として地を注ぐことであろう。バアルなどの異教に
おいては、実際に人身をいけにえとしてささげたことがあった。

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