Subject:
詩篇17篇
From:
伊藤 由美 <yumimama@bmmn.bias.ne.jp>
Date:
2004/01/12 22:19
To:
saiwainet@egroups.co.jp

伊藤由美です
詩篇17篇の構造を送ります。

[構造]
1~5
 A 1~2 祈り:正しい訴えを聞いて、裁きを求める
 B 3~5 主が私を調べる:私は、心、口、行ない、足(道)において主に従う
 
6~12
 A 6~9 祈り:右の手に来る者を救う神よ、敵から守り給え
 B 10~12 主が敵を調べる:悪者は心、口、足、目、行ないにおいて傲慢

13~15
 A 13 祈り:立ち上がって裁き給え
 B 14 内容(※)
 A 15 祈りの結論:正しい訴えがの裁きの日に受け入れられて御顔・御姿を仰ぐ

[問]
・14節の解釈に当惑している。
新改訳だと「彼ら」は「この世の人々」を指しているように思えるが、訳としてしっくりこない。

この節をヘブル語の対訳の日本語訳で見ると、御もとに隠れる人に祝福を願うような内容になっている。
ヘブル語の下に書かれている直訳に至っては、ますますわかりにくい。
いったいこれをどう考えるべきでしょうか?
・15節の「めざめるとき」とは復活の日を指すと考えてよいのだろうか?

[コメント]
・この詩篇のテーマと関係あるかどうかわからないが、
「心」「口」「行ない」「足(生きざま)」からはバッハのカンタータ147番のタイトルを思い出す。
・常に「心と口と行ないと生きざまをもって」正しく神の道に従おうとしていたダビデの信仰者としての姿と
よこしまな悪者の姿が対照的である。
・悪者が祝福されたとしてもそれは一時的であって、永久的ではありえない。
また、罪人の財宝は正しい人のために貯えられる、ということもある。
・正しい訴えで始まるこの詩篇が、信仰の道を貫き通し、15節で終わるときには確信となって、
「満ち足りる」と告白できるとはなんと幸いなことか。
主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は何と幸いなことでしょう(ルカ1:45)