Subject:
17篇の研究のノート
From:
Date:
2004/01/15 12:41
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

+ちゃんくんです。

17篇の研究のノートをまとめました。

悪者が栄えているということは、
この世ではよくある問題である。
栄えている時、平和な時、祝福されている時は高慢の罪にならないか神様にためされ
る。

悪者が栄えているということは悪いことで、
正しいことが悪いとされ、悪いことが正しいとされているということである。
その時に僕はマラキ3:14-15を思い出す。

神様は高慢の罪を忌みきらわれる。
その時に僕は箴言6:16-19を思い出す。
この個所は神様の忌み嫌うものが6つある、
いや7つあってこうだという個所である。

この反対はヨブやダビデのような人である。
ヨブは神様を恐れて、正しいことを行っていたが、すべて神様に取られてしまった。
そのとき、ヨブの3人の友人はヨブは何かしてはずだと言って攻撃する。

箴言6:16-19をするものは偽教師である。
偽教師は教会に分裂をおこし、自分にみなを従わせて、
自分をリーダーとする。
それはアブシャロムの行動と同じである。

ダビデに従うものが門にくるときに、
偽りの下を持って、自分のほうが良いと言う。

アブシャロムまた、偽教師のように似ているものは、
新約聖書の中でもう一人いる。
それはキリストの弟子であったイスカリヨテユダである。
弟子たちの間でもだれが一番えらいかという議論もあった。

しかし、いつもキリストにしかられて、
弟子たちの行動はいつも失敗に終わった。
それはある意味で高慢にならないように守られたということである。

キリストは断食しているときにサタンに攻撃されて、
もし、サタンに従うなら、世界をあげるといったときにその誘惑に勝てたが、
アダムとエバの場合は自分の手で神様が与えようとしておられる、
ゆずりの地をとろうとした。アダムとエバはサタンの誘惑に負けた。

キリストは神様をとおして、問題をみたので、その誘惑に勝てたが、
アダムとエバは神様を通してでなく、この世の問題に目をとなめたので、
サタンの誘惑に打ち勝てず、自分たちへの相続地を失った。

私たちはアダムとエバのように自分たちで相続地を取ろうとするのではなく、
キリストのにすがたとして、キリストの行いをこの世でなせるように。
主が私たちを守って、私たちに知恵を与えてくださるように。
アーメン。

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