Subject:
詩篇18篇の研究で学んだことのまとめ
From:
Date:
2004/01/23 11:36
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

+ちゃんくんです。

詩篇18篇の研究で学んだことをまとめました。

詩篇18篇は今回1篇から学んできた中で、一番長い詩篇である。
なぜなら、18篇は50節もあるからだ。
詩篇18篇の全体をはあくするのはけっこう時間がかかった。
あともう一週間やると、もっとよくわかる。

詩篇18篇はだれもが見てわかるように、
岩についてのことばがたくさん出てくる。
ささえるとか、ゆるがない、よろけない。

詩篇18篇はみんなが知っているように、
第二サムエル記の22章のダビデの歌をまるごととっている。
第二サムエル記のほうは詩篇18篇の題から、
本文が始まっている。

詩篇18篇の構造はキアスマスになっていることはわかるが、
どのようなキアスマスになっているのかが問題である。
構造としているときに50節はこまった。

詩篇18篇の本文を題からだと見ると、
50節はその0節とつながっているのではないかと考えられる。

今週の詩篇の研究で主はわが岩であるということを探す人は多かった。
岩といえばハンナの祈り(第一サムエル2章)を思い出す。

ハンナの祈りはサムエル記の導入であって、
ダビデの祈りはサムエル記の結論である。
サムエル記は全部で55章である。

サムエル記の構造の真中はダビデが勝利したとかではなく、
ナバル(ばか)の妻であるアビガイルの話である。
ナバルはダビデに対して、善にかえて悪をかえした。

そのときにダビデはナバルに対して復讐をしようとしたが、
アビガイルの王に対しての願いにより、
復讐は神のものであることをダビデは悟った。

アビガイルはその願いの中で、
主は生きておられるという言葉をつかう。
サムエル記の中で女の祈りはかつやくしている。

主は生きておられる。
神。その道は完全。
主のみことばは純粋。
主はすべて彼に身を避ける者の盾。
主の御恵みはとこしえまで。
アーメン。

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