Subject: 詩篇19篇 蜜のように甘い(将) |
From: "Shou Itou" <shou@bmmn.bias.ne.jp> |
Date: 2004/01/28 17:25 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 御言葉が甘いということについてみました。 この詩篇では、主の教えが蜜より甘いという。この詩篇はダビデの時代で、教え、証 などは全てモーセの律法を指す。それで、律法は甘いということになるが、律法とは 罪を犯した者を裁くものなので、それが甘いということは何かおかしい。 聖書の中で、主の御言葉が甘いといっている人はダビデを除いて二人いる。それは、 エゼキエルとヨハネである。 エゼキエルは彼の書物の中でこう言っている。 【エゼキエル3:3】そして仰せられた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻 き物で腹ごしらえをし、あなたの腹を満たせ。」そこで、私はそれを食べた。する と、それは私の口の中で蜜のように甘かった。 ヨハネもまた、このように言っている。 【黙示録10:10】そこで、私は御使いの手からその小さな巻き物を取って食べた。す ると、それは口には蜜のように甘かった。それを食べてしまうと、私の腹は苦くなっ た。 ヨハネもエゼキエルと同じく、主の御言葉を食べたが、腹の中で苦くなった(心の痛 み?)。 ヨハネとエゼキエルに共通点として、主の裁きとその後を見たということがある。こ れはこの詩篇に書いてあることにつながる。「主のさばきはまことであり、ことごと く正しい。」 律法の中には、主が裁くことだけではなく、主が愛するということも書かれている。 その点で、律法は甘いのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━ Shou Itou mailto:shou@bmmn.bias.ne.jp ━━━━━━━━━━━━━━━━