Subject: 詩篇20篇 誇る(将) |
From: "Shou Itou" <shou@bmmn.bias.ne.jp> |
Date: 2004/02/03 16:13 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
こんにちは、+イトウショウです。 7節にある、2種類の誇る者についてみました。 ●いくさ車、馬を誇る者 このような物を誇るということはこの世の富、つまり目に見える物を求めるというこ とである。これは、罪人の典型的な問題である。このようなことを主は嫌い(1)、 その結果はむなしい(2)。馬を誇るということは、馬をたくさん持っているという ことで、それは戦争するためであるからであり、聖書の中で禁じられているからであ る(3)。 (1)【詩篇147:10】 神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。 (2)【詩篇33:17】 軍馬も勝利の頼みにはならない。その大きな力も救いにならない。 (3)【申命記17:16】 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって 民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主は あなたがたに言われた。 ●主の御名を誇る者 主の御名を誇るということは、主への感謝の現れである。クリスチャンはキリストに あって主を誇り(1)、キリストご自身をも誇る(2)。しかし、私たちは主の御名を 誇りすぎるということは禁じられている(3)。限度を守れば、私たちは神の神殿と なれるのである(4)。 (1)【ローマ15:17】 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っている のです。 (2)【ピリピ3:3】 神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない 私たちのほうこそ、割礼の者なのです。 (3)【申命記5:11】 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだ りに唱える者を、罰せずにはおかない。 (4)【ヘブル3:6】 しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確 信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の 家なのです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━ Shou Itou mailto:shou@bmmn.bias.ne.jp ━━━━━━━━━━━━━━━━