みーちゃんです。
正しい王様について聖書の中で研究しました。
■詩篇97篇:
詩篇97篇は「主は王だ!」という宣言から始まっています。97篇の中で王について強調されているのは、正しいさばきで、詩篇の中でよく王様についての箇所で一緒に出てくるテーマです。97篇で主は王だという時に、主は恐ろしい方であることがわかります。主は義とさばきの御座につき、それを見た悪者は恐れて溶け去ってしまっています。主のさばきとは、書かれているように、正しい者は愛して救い、悪者は憎む方です。
■1サムエル記8章:
サムエルの時代にイスラエルの民は、ほかの国々のようにと王を求めました。そこで、サムエルは王とはどのようなものか説明したのが、この1サムエル記8章10-18節です。サムエルは彼らに王の権利についてこういいました、彼らは息子、娘を自分のしもべにして、息子は王のための戦士に、娘を自分の女奴隷とする、と。しかし、それでもイスラエルは王を求め、サムエルは主の命令により、ベニヤミン人サウルをイスラエルの王としてたてました。ここで主は王という者が悪いと言っているのではなく、イスラエルが”ほかの国々のように”王が欲しいと言ったことが悪いと言っているのです。
■創世記1章:
歴史の中の最初の王様はアダムです、それは、創世記1章26節を見るとはっきりとわかります。この箇所は神様が人間を創造されたところで。主は人間に主が創造されたものを、支配するように命令しています。ここで言われている支配というのは、王の働きを表しているのでしょう。また、この箇所で強調されているのは「われわれに似るように」という所です。なぜなら、人が王として支配するのは、神様が王としてすべてを支配してるからである、ということがわかるからです。
■詩篇20篇:
詩人はなぜ20篇で祈っているのでしょうか?それは、王の救いを求めているからです。20篇でいわれている、王の苦難のときとは戦いのことでしょう、ですから、勝利の話がでてくるのです。詩人は王が高く上げられることを求めて、主に祈っているのです。なぜなら、このようにして、主のしもべである王が高く上げられることによって、神様の御名も高く上げられるからです。この祈りを見ると、1サムエル記2章にでてくるハンナの祈りを思い出します。なぜなら、ここも正しい王を求める祈りだからです。
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