Subject:
全焼のいけにえについて
From:
Date:
2004/02/05 11:52
To:
<saiwainet@egroups.co.jp>

+ちゃんくんです。

全焼のいけにえについて見ました。

詩篇20:3は構造の中で一番こまるところでもある。
何でかは知らないが、ここに穀物のささげものだけしかでてこない。
和解のいけにえとかほかのささげものについてこない。

全焼のいけにえといったときにちゃんくんは、
最初はハンナがサムエルをささげたところ、
また、アブラハムがイサクをささげたところ、
エフタが戦い後に自分の娘をささげたところを思い出したが、
そこを思い出すべきではない。

ということで今日はいろんな個所を見ていくのだ。

■第一サムエル15:22-23

サウルはここでサムエルが待ってなさいといったときに、
待つことをせず、かってにいえけにえをささげた。
これは詩篇20篇と同じように戦いの日である。
詩篇20篇に出てくる苦難の日を戦いの日と考えなければならない。

■第一列王記8章、第二歴代誌6章

ここは神殿がたておわって、
ソロモンが民のためにとりなしの祈りをしているとこである。

ソロモンはここで神殿に向かって祈るときに、
[主が聖所から答えてくださるように]と祈っている。

■詩篇51:19(51:16-17)

神様は私たちのささげるいけにえを喜ばれるのではない。
主は私たちの砕かれた魂、砕かれた悔いた心を求めている。
神は私たちの義のいけにえを受け入れられる。

詩篇51:1-5と10節はいつもの礼拝の罪の告白で、
告白している個所である。
そのあとに神様は私たちの砕かれた悔いた心を
受け入れてくださると出てくる。

■イザヤ1:11-15

神様はこの個所で私たちの正義と公義を求めている。
その正義と公義とは、みなしご、やもめ、悩むもの、
貧しい者を正しくさばくことである。

■ホセア6:6

ここの個所で神様は誠実と神を知ることを喜ばれる。
神を知ることとは神を恐れることである。

■アモス5:22

この個所もまたまた、イザヤと同じように、
私たちの正しいさばきを求めている。

ここには和解のいけにえということばがでてきている。
また、詩篇20篇と同じように穀物のささげものがでてくる。
これになんかの意味があしか考えられない。

また、ちゃんくんはカインとアベルのストーリーを思い出した。
ここを見るときに51:19は思いださなければならないが、
カインとアベルのささげものの場所も思い出さなければならない。

カインとアベルは神様にささげものをしなさいと命じられた。
カインは自分のつくったさくもつから神様にささげた。
アベルは自分のかっていた羊の中から最良のものをささげた。

神様はカインのささげものを受け入れられなかった。
なぜなら、過ぎ越しの祭りのときにもわかるように。
血は贖いである。門に血をつけることによって、
神様はその家はもうさばかれたと言ってとおりすぎてくださる。

カインのささげものは血をながすものでなかったので、
神様は受け入れらなかった。
アベルのささげものは血をながすものであったので、
神様に受け入れられた。

アダムとエバが罪をおかしたときに、
神様は動物の衣をきせてくださった。
彼らは神様に対して罪を犯したので、血をながすべきであったが、
動物が代わりとなって、血をながした。(十字架)

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