Subject: 詩篇20篇で学んだことのまとめ |
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Date: 2004/02/06 11:24 |
To: <saiwainet@egroups.co.jp> |
+ちゃんくんです。 詩篇20篇で学んだことをまとめました。 20篇全体を把握することは先週のようにはむずかしくなかった。 しかし、この詩篇には同じテーマが何回もへんなところで、 繰り返されている。 また、今週の詩篇には三人の登場人物がいる。 それは、主ここでは神様ではなくて主である。 そして、王、私たちである、私ではなくて私たちである。 私たち(民)は王のために祈っている。 この詩篇の中で一番大切な関係は神様と王様である。 王様が救われることは私たちの勝利である。 そのようになるように、民は祈っている。 それに対する主の答えは聖天、聖所、シオンからくる。 一節の苦難の日とは戦いの日のことを言っているのであって、 ただ、悩んでいて苦しいからとかではない。 この世の力を誇る者たちが迫ってきている。 そのときにそれに対して勝利できるように祈っている。 三節の全焼のいけにえとは戦いの前の礼拝のことをあらわす。 ただ、個人的な礼拝ではない、民のためにとりなす礼拝である。 主は私たちの心なしの全焼のいけにえ、祈りを受け入れられない。 それを知るための個所は第一サムエル15:22-23、 詩篇51:16-17・19、イザヤ1:11-15、ホセア6:6、アモス5:22である。 さっき言ったように、三人の登場人物が出てくるが、 それは主の祈りの形になっている。 その祈りは今日の通読であるヨハネ17章に似ている。 ここは私たちの王であるキリストが祈っている。 私たちはキリストに見習ってこの祈りをしなければならない。 主よ。どうか王をお救いください。 私たちが呼ぶときに、私たちに答えてください。 あなたは永遠の昔から私たちの主です。 アーメン。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ ------------------------------------- saiwainet@egroups.co.jp