みーちゃんです。
42篇の8節についてにのカルヴァンの解釈を見ました。
■参考とした文献:
詩篇42篇8節 カルヴァン聖書註解
■カルヴァンの8節の訳:
主は昼にその慈愛を知らしいめられるでしょう。
夜にはその歌がわたしと共にあり、
わが生命の神への祈りがあるでしょう。
■大切なこと:
ある人々の考えるところでは、ダビデはここで、以前の神の恵みを思い起こし、今の悲しい状態について嘆いている。
たしかに彼が自分の信仰を強めるため、すでに体験した神のもろもろの恵みを思い起こしていることをわたしは否定しない。
わたしは、ここでダビデが、まだ隠されている救いを、起こるべきものとして信頼を寄せている。
最後に言われている祈りは、苦しみ、あるいわ悩みのうちにある人間の祈りと解釈するべきではない。むしろ、それは、喜びの祈りである。
ダビデが神を生命の神と呼ぶのは、このことの認識がわれわれのうちに、心の軽やかさを生み出すからである。
■わたしのこれに対してのコメント:
カルヴァンはダビデは確信を忘れていないということをいいたいのだと思う。
カルヴァンが最後の祈りは喜びの祈りだと言っているけど、私もそうだと思う。