Subject:
詩篇22篇 十字架
From:
Miwaza Kanno
Date:
2004/02/18 12:17
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇22篇はキリストの十字架のストーリーとつながっていますが、それを理解するために、4つの問いがあります。

・十字架の苦しみとは何か?
・十字架上の人はその苦しみの解決は何だと考えているのか?
・十字架の攻撃は何を狙っているのか?
・私にとっての意味は?

■十字架の苦しみとは何か?:

このテーマを見る時には、まず、キリストの飲む怒りの杯についての祈りを見なければいけません。キリストは主であるからといって、十字架の苦しみはいたくない、苦しくないというものではないということがこの箇所からわかります。本来なら罪を犯した張本人である、私たちがこの苦しみを受けるべきなのです。

しかし、罪を犯した人間である私たちにはこの苦しみは耐えることができません。それなので、主キリストが私たちのために、人間となってこの世に下って、代わりに死んでくださったのです。

苦しみはどのようなものであったのか?それは、22篇の14-19節に書いてあります。その箇所を見ると、その苦しみは犬に囲まれるようなこと、また、すべてが溶けていくような状態であることがわかります。

また、この箇所の間には骨についての話も出てきて、まさに、キリストの十字架上の苦しみを表していることがわかります。このストーリーの中で一番大切なのは、キリストは死んでくださり、よみがえられたということです。

■十字架上の人はその苦しみの解決は何だと考えているのか?:

この答えはいつも詩篇で学んでいる、救いの定義とつながっていると思います。その定義とは、主が共にいてくださるということです。このテーマは詩篇の中で何度も取り扱われていることですが、敵はこの反対の状態を攻撃してくるのです。実際に、キリストが十字架に架けられている時に、キリストも叫んだように、神様が見捨てたかのような状態に見えました。

しかし、十字架上のキリストをあざけった者たちは、最終的に、キリストは主に見捨てられたのではない、ということがわかります。それがはっきりと示された時に、主を信じる者たちはどのような反応をするのでしょうか?私たちは主を信じる者として、22節からのところに書かれているように、大会衆の中で主を賛美する者です。

途中です。

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