Subject:
詩篇22篇 王権
From:
Miwaza Kanno
Date:
2004/02/19 12:20
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇22篇では、主の王権ということも強調されています。なぜなら、私たちへの救いはすべて主の王権からくるものであるからです。

■詩篇47篇:

この詩篇はまさに、主は王であるということを賛美する詩篇と言えるでしょう。本当の王様はどのような者であるべきなのか、ここからもわかります。主は王として聖なる王座につかれるかたであり、また、彼はそこですべてをおさめられています。主は王として、恐れられる方であり、イスラエルだけではなく、全世界が主を賛美しています。この賛美、喜びの叫びのなかで使われている楽器は、角笛です。詩篇47篇全体は、このように見ていると22篇の後半だけ取り出したような詩篇であることがわかります。このような、王である主をよくあらわす、ひながたは誰でしょうか?それは、ソロモンです。ソロモンは主の栄光を表し、ソロモンの支配によって、多くの人々が主の栄光を見ました。

■オバデヤ1章:

今日の通読箇所である、ここは、エドムへのさばきについて書かれています。エドムは兄弟である、イスラエルがさばかれているときに、それを無視して高ぶっていたために、主にさばきの宣言をされました。そして、王権は主のものであるという言い方は、一番最後の節にでてきます。その位置づけとは、主がすべてを支配していて、さばかれる、そして、すべてを行うことができるという所です。王権とは全知全能であり、主は王の王であるということを表すことばです。

■ゼカリヤ14章:

この箇所は主の日についての預言です。主の日とは、主の王権がよく表されている日ではないでしょうか?この日に、主は来られ、主は全世界の王であることが、この日にはっきりと表されます。その時にエルサレムは平安に住みますが、そのエルサレムを攻撃する者は、主によってさばかれます。これは、大恐慌の日と呼ばれます。そして、この日に人々は主から逃げようとします。しかし、主を信じる者には22篇と同じように、救いが約束されています。ゼカリヤ14章16節と17節に書かれているように、人々はこの出来事によって主を王として認め、主を礼拝するようになるのです。まさに、これは、22篇の後半の状態を表しています。

--------------------------------------
 :: Miwaza Kanno ::
    miwaza@miwaza.com
 http://miwaza.com
 God be with you :)
--------------------------------------