Subject:
詩篇22篇 3段落目の構造(ケイヤ)
From:
Date:
2004/02/19 12:33
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

この詩篇の構造についてまとめました。

22篇は大きく分けて3つであると考えられる。

1-10
11-21
22-31

最初の2つの段落の構造は比較的簡単であるが、一番最後の段落の構造は分かりにく
い。このようになっている時の構造の考え方で簡単なやりかたは1つある。それは3つ
に大きく分かれているので、それらの中でも特に最初と最後はつながっていると考え
るやり方である。

そのように考えると1-10と22-31が同じような構造ではないかということが考えられ
る。

●22-31の構造

1-10がABABの見捨てられているのか、いや主に信頼するという2つのテーマの繰り返
しであるので、同じように22-31も前半と後半に分かれていて、並行していると考え
ると次のようになる。

A1 22 会衆で主を賛美
    B 23-24 理由: 民のさげすみからの救い
A1 25 会衆で主を賛美

A2 26 食べて、主を賛美
    B 27-28 理由: 主は王の王
A2 29-31 食べて、主を賛美

22-25では会衆が賛美しているのではなく、詩人が民の中で歌っている。しかし、
26-31では神を捨てた民も戻って来るし、国々もすべて主を礼拝し、賛美している。
また26-31の賛美するという箇所には食べるというテーマもでてくる。

両方とも中心になぜならという意味のヘブル語「キー」で始まる賛美の理由がある。
この2つは遠くかけ離れているように見えるが、同じ事である。主は王の王で、すべ
てを支配しておられるので、悩む者が悩み、苦しんでいるのを見てさげすむことはさ
れなかった。主が王であるのでこのようなことができるのである。それで詩人も賛美
する時に、個人的な救いであるのに、全イスラエル、全人類が主を賛美するようにと
言うのである。


このような構造になっているのを踏まえて、前の1-10とどのようにつながっているの
かを見なければならない。

●1-10と22-31のつながり

1-10と22-31はつながっているが、順番は、

22-25 ⇔ 6-10
26-31 ⇔ 1-5

というように逆になっている。

22-25で強調されているのは詩人が救われ、そのことを会衆の中で賛美しているとい
うことであるが、6-10では民の中でさげすまれているということが強調されている。
色を塗っても分かるように24節と6節にはさげすみという言葉がある。それで6-10で
詩人は民によってさげすまれていたが、22-25で主は詩人をさげすまなかったという
ことが言える。このことによって敵となってしまった民は詩人を囲んでさげすんでい
たが、主がさげすまないで詩人を救ってくださったので民、兄弟たちの中でそれを賛
美するということになる(今日のホワイトボードの右上の図を参照)。

それに対して26-31では離れていた民、異邦人も主を賛美するということになってい
て、1-5では神が遠く離れている。ここから教えられるのは神が遠く離れているので
はなく、民が自分たちから神から離れ、神を忘れたということである。それで彼らは
戻ってきて、主のことを思い出し、賛美するということが言われているのである。

●まとめ

このことから個人の救いをを通して私たち兄弟たちも主を賛美し、主が王であるとい
うことをみなで賛美しほめたたえるということが教えられる。

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