みーちゃんです。
詩篇25篇のなかで分析してみました。
■1節:
主よ。
私のたましいは、あなたをあおいでいます。
1節 → あなたを仰いでいる
15節 → 私の目は主に向かう
16節 → 私に御顔向けてください
この箇所は魂が神様に向かっていると言う箇所で、15節と16節につながっています。この3つの節で言われている詩人の行動は、25篇で繰り返されている”主を待ち望む”、また、神様が覚えているということです。主に目を向ける、主を待ち望むというのは、悪者たちの考える恥の反対です。彼らの考える恥とは、ただの恥ずかしい、隠れたいという意味で、本当の恥とは神様が自分と共にいると思っていたのに、本当は離れていた、その状態を敵がばかにしているということが、本当の恥です。つまり、本当の恥とは神様との関係について使う言葉なのです。
■2節:
わが神。
わたしは、あなたに信頼しいたします。
どうか私が恥を見ないようにしてください。
私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。
3節 → 裏切る者は恥を見ます
19節 → 敵がどんなに多いかを見てください
ここは、実際にどのような者が恥を見るのかが書かれています。詩人は主に信頼していて、そのために恥を見る事はないといっています。この信頼するということも、神様を待ち望むということにつながっているのです。なぜ、神様を信頼すると恥を見ないのか、それは、神様が必ず恥から詩人を救ってくださると信じているからです。この節には、恥の話と一緒に、敵が勝ち誇らないようにということがでてきますが、これは先ほど話した”神様が自分と共にいると思っていたのに、本当は離れていた”を指しています。詩人が神様に見捨てられて、負けているように見える時、敵は勝ち誇って恥をかかせるということです。
■3節:
まことに、あなたを待ち望む者は
だれも恥を見ません。
ゆえもなく裏切る者は恥を見ます。
2節 → 主に信頼する者は恥を見ない
12節 → 主を恐れる人
ここでは恥を見る者と、恥を見ない者が対比されています。ここで、25篇で登場する敵がどのような者かもわかります。その敵とは裏切り者で、彼は誰を裏切ったのかと言うと、神様を裏切ったのです。この裏切りというのは、信頼の正反対の意味です。この節の場合、主に信頼する者とは、主を待ち望む者と言われています。この者は、2節にでてくる主に信頼する者、10節にでてくるさとしを守る者、12節の主を恐れる人と同じグループの人です。彼らはみな、主の道を歩む人々です。
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