Subject:
詩篇25篇 道を教えるということについて(ケイヤ)
From:
Date:
2004/03/16 14:54
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇25篇の大切なテーマである道を教えるということについて調べました。

●出エジプト記33:13

ここでモーセが主に道を教えてくださいということを主に願っている。

この周りの箇所はとても興味深い。31章までの所で、モーセはずっとシナイの山の上
にいて主の命令を受けていたが、その間に民とアロンは偶像を作り、それを通してエ
ジプトから連れ上った神を礼拝しようとする罪を犯した。そのために主は怒り、偶像
礼拝をしていた者を殺すように命じられる。そのためにモーセはまた山に登り、主に
とりなしの祈りをする。そうすると主はうなじの民を滅ぼさないために彼らから離れ
ると言われる。その時にモーセは主に願い、自分に道を教えるために一緒に来てくだ
さいということを願う。主はそれを聞き入れ、モーセにご自分を表してくださる。

この箇所から主が私たちに道を教えてくださる時にただ道を指摘するだけではなく、
一緒に歩み、導いてくださるこいうことが分かる。それで主の道は安全なのである。

●第1サムエル記9:6, 9:8, 12:23

第1サムエル記の中にこの道を教えるというテーマは3箇所ほどあるが、これらの箇所
で道を教えているのはサムエルである。彼は先見者と呼ばれていたが、預言者と同じ
ような役割を果たしていた。彼は主の代わりに主のみことばを伝え、道を教えてい
た。また彼はリーダーがいないイスラエルの民の中で民を導いていた。

●詩篇32:8

ここには詩篇25篇にでてくるもう1つの大切で、目立つテーマ「罪を赦す」というこ
とがある。この詩篇は一般的にダビデがウリヤとバテ・シェバのことで罪を犯したあ
とに祈った詩篇として知られている。

ダビデは自分の罪を隠していた時には1日中平安がなかったが、主に罪を赦しを求
め、悔い改めたら、隠れ場である主は彼の恥を隠してくださった。そのあとに詩人は
他の人に道を教え、助言を与える。それで馬のように道を歩むなということを言う。
それらのように離れるのではなく、主に信頼するなら、喜ぶことができるからであ
る。

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+KeiyaKanno
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