Subject: 詩篇26篇 「カンノパパの構造」 |
From: |
Date: 2004/03/25 11:42 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 今日のカンノパパ説についての説明を書きました。 カンノパパの構造は今日のところでは前半と後半にわかれている。 前半は1-5で後半6-12でくある。 前半の1-5の構造は考えやすいが、 後半の6-12は1-5のようにかんたんにはいかない。 構造の中で、6-7が目だって、そこが中心だと見る人が多い。 また、詩篇26篇では歩むということばも目立つ。 2-5節と6-10節のところが理由でもっと強調されて書いてある。 そして、もう一つの構造でこまるところは、 6節の祭壇の回りを歩くということが誠実に歩むとつながるのか。 歩むという字は同じだが、意味は違う。 そこにはまた手の話がある。 その手の話は10節の悪者の悪の手とつながる。 そうなるとこまるのは6節は真中ではないなら、どことつながるのか。 祭壇の回りを歩くということは自分をさばくということである。 なぜなら、1節は私を裁いてくださいではじまって、 11節も裁いてくださいになっているからである。 ということで構造の中でつながるキーワードは、 裁+賛美-歩+頼である。 私たちは苦しみにあったときにまず主に感謝する。 (詩篇119:71) ただ、のてんきに感謝、感謝ではない。 主を恐れる者はけっかを知っている。 主が私たちに勝利を与えてくださることを。 主よ。私たちをあわれみ、私たちに勝利を与えてください。 主を恐れる者よ。主を恐れつつ、主に感謝せよ。 主はいつくしみふかい、その恵みはとこしえまで。 アーメン。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ -------------------------------------