Subject:
詩篇26篇 クロスリファレンス
From:
Miwaza Kanno
Date:
2004/03/25 11:57
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

詩篇26篇のクロスリファレンスを見ました。

■詩篇73篇:

詩篇26篇の中で詩人は、堅く立ち、その足は平らなところを歩いている状態です。しかし、73篇では足がたわみそうになっていて、すべってしまっています。しかし、このような状態にあっても詩人は神様が、心のきよい人に対してあわれみぶかいということを信じているので、神様が必ず自分を敵の手から救い出してくださる事を信じています。心のきよさについては、26篇にもでてきます。詩人は神様に自分の心を試してくださるように、願っています。二つの詩篇の中で、一番共通しているのは、26篇の詩人も27篇の詩人も、主の家に住まう事、主がともにいてくださる事を、決定的な救いとしているところです。

■詩篇43篇:

この詩篇は、26篇によく似ています。まずさばきを求める祈りで始まり、主をほめたたえるというところで終わっています。そして、真ん中には神様の家に住むという事について書かれています。43篇にも26篇と同様に、”歩き回る”という話がでてきます。しかし、43篇の場合嘆いて歩き回っていて、26篇では真理の道を歩むということで、でてきます。43篇の中の詩人の敵とは、心の敵であり欺きを言うもの、不正な人です。

■詩篇15篇:

この詩篇にははっきりと”正しいさばき”という言葉はでてきませんが、詩篇26篇の1節につながるようなテーマで全体が流れています。詩人は義を行う者であり、偽りを言わないものとして、15篇にでてきます。そのことについて15篇のなかで、お金をたとえとしてはなされています。例えば”利息”や”わいろ”などです。また、15篇にはもう一つ26篇とつながっているところがでてきます。それは、神様の家の話です。なぜ、義を行う者についての話の中で、神様の家に住むという事がでてくるか、それは、神様の家に住まうにふさわしいもの、それが神様に義を行う者だからです。

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