Subject: この前の詩篇27篇の構造についての批評 |
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Date: 2004/03/30 12:57 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 この前の詩篇27篇の構造について批評しました。 ■この前のムレファミリー説 A 1 恐× いのち B1,2 2-3 仇倒 恐× 4-6 C1 4 主家求 C2 5-6 隠 上 7-10 C1 7-8 御顔求 C2 9-10 隠× 上 B2,1 11-12 仇倒 道教 A 13-14 主待望 いのち ■こんかいのちゃんくん説 1-8 前半(悪者の攻撃) A 1 私は恐れない B 2-3 悪者はつまずいた C 4 主の家に住む D 5-6 主が私を高く上げてくださる X 7-8 御顔を慕い求めよ 9-14 後半(前半の反対) X 9 御顔を隠さないでください D 10 主が私を取り上げてくださる B 11-12 平らな道を教えてください C 13 生ける者の地でいつくしみを見る A 14 雄々しくあれ、心を強くせよ ■批評 □ちゃんくんの構造と違うところ ちゃんくんも2-3節は仇は倒れるにしているが、 11-12節は仇が倒れると道を教えるになっているのか? ちゃんくんは2-3節のつまづくにへいこうして平らな道にしている。 また、見れば上げるということが平行されているはわかるが、 5-6節は隠れ 9-10は隠れ×になっている。 それはどういう意味なのかな? 1節には直接いのちということばはあるけど、 14節にはいのちということばはない、4節に直接でてくる。 なぜそこが、いのちということになるのかな? □ムレファミリー説に対する質問 5-6節は隠れ 9-10は隠れ×になっている。 それはどういう意味なのかな? 1節には直接いのちということばはあるけど、 14節にはいのちということばはない、4節に直接でてくる。 なぜそこが、いのちということになるのかな? なぜ、C1,C2とかB1,B2かにしているのかな? 2-3節と11-12節のつながりは? 仇が倒れるのつながりはわかるが、道を教えると恐れないの関係は? 11-12節がなぜ仇が倒れるということになるのかな? ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ -------------------------------------