みーちゃんです。
”雄々しくあれ”ということについてまとめました。
”雄々しくあれ”という言い方を聞いて、最初に思い出すのはヨシュア記1章です。モーセはヨシュアに自分の仕事を相続する時に、彼を力づけ”雄々しくあれ、強くあるように”と言います。ヨシュアと言えば、この言い方を思い出すでしょう。
では、この”雄々しくあれ”というのは、何を土台として言われる事なのでしょうか、それは、この言い方がでてくる箇所全体を見るとわかります。これが言われる時の状態は、いろいろあります。例えば、2歴代誌32章では敵が民に恥をかかせようとしている時に、王が民を力づける言葉としてでてきます。
2歴代誌32章のまわりを見て、はっきりと分かるように”雄々しくあれ”という宣言は、主の救いを信じているからできるものであることが分かります。この主の救いというのは、神様が共にいてくださるということであり、詩篇27篇にもでてくるテーマのひとつです。
神様が共にいてくださるということと、雄々しくあれということのつながりをみると、”雄々しくあれ”という事の反対が、神様に見放されている、見捨てられているというのであることがわかります。このように、雄々しくあれということの根拠は、神様が共にいてくださる、つまり、主の家に住むという事です。
”雄々しくあれ”という言葉を聞くと、戦いの事を考えますが、27篇にも戦いについてのことがでてきて、雄々しくあれという事とつながっています。詩人は前半で、自分は敵を恐れないといっています。これは、雄々しくあるという事の別のいい方です。
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