Subject: 詩篇28篇 「報い」 |
From: |
Date: 2004/04/07 11:58 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 詩篇28篇「報い」についてまとめました。 伝道者の今日の通読の個所に詩篇28篇を見るべき個所をが出てきた。 それは伝道者8:14と17節である。 14と17節は詩篇28:4-5節のことがかかれていた。 14節では報いの話をしていて、17節ではみわざについて書かれていた。 詩篇28篇で詩人が祈っていることが反対にされている。 ソロモンはすべてが神様のみわざであることを悟った。 詩人が祈っていることが反対にされるの意味は、 何をやってもすべての行いはかわらない。 正しいことをやっても、それに対する祝福が与えられない。 その時に、ちゃんくんが思い出した個所は、 マラキ3:15で祭司たちは自分たちが正しいことをやっても、 悪者が祝福されているので、私は悪者を正しい者と呼ぶという所である。 その話はこの世ではよくあることである。 神を恐れないものは、富んでいて、大きい家に住んでいるとか。 それを見るときに私たちはむなしくなってしまう。 むなしさに対する慰めを知るためにはヨブのストーリを思い出す。 ヨブはひどい状態でありながらも、 その苦しみが解決する前に神様がすべてをやっていることを知った。 だれでも、かっけが与えられたら信じるが、 いつ、その人にけっかが与えられるかはわからない。 アブラハムのように死んでから何年もたって与えれることもある。 また、それをすべて神様が知っててやっていること知らなければ、 人生はど~してぇ~のくりかえしである。 神様がそのどうしての理由を知っている。これこそ、全知全能である。 また、神様がすべてをなしていることを知らないと、 それは自殺につながる。自殺をする人は人生がむなしいからである。 もし、スポーツでいうなら、いくら練習してもうまくならない。 それはただやめればいいだけど、 人生はスポーツのようにはやめることはできない。 自分のほしいものが誰かによって与えられて、 お父さんとお母さんに見せたときに、 まあねといわれたら、それはかなしくなって、その物はむなしくなる。 ということで、むなしさの解決は神様が知っているというところにある。 すべてを知っておられる全能の神よ。 私たちの行いに応じて報いてください。 ハレルヤ。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ -------------------------------------