Subject:
詩篇28篇 新約聖書とのつながり
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2004/04/08 12:01
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

James Montgomery Boiceさんが、書いていた、詩篇28篇と新約聖書のつながりにつ
いてまとめました。

■祈り続けることについて(ルカによる福音書18章):

詩篇28篇で教えられるのは、神様に祈り続けることです。これは、キリストが話さ
れた一つのことを思い出させます。そのたとえは次の言い方で始まっている。「いつ
でも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたと
えを話された。」

ある町に裁判官がいたが、彼は神を恐れず、人を人とも思わなかった。そこにはやも
めがいて、彼女は自分を訴えるものをさばいて下さいと言った。しかし、裁判官はし
ばらく聞き入れなかった。しかし、彼女が何度も来るので、裁いてやろうと思った。

このたとえに対して、キリストはこう言われた。「まして神は、日夜叫び求める選民
のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあ
ろうか。あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。し
かし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか。」

神様はこの不正な裁判官と違って、防いではなく、人に対して無関心ではあられな
い。まさしく、不正な裁判官と正反対である。神様はいろいろな方法でいつも答えて
下さる。だから、私たちはいつも祈るべきであり、決してあきらめてはいけない。

■聖所に向かって祈る(ルカによる福音書18章):

ダビデは神の至聖所に向かって、自分の手を上げている。至聖所とは、神様の契約の
箱がおかれている場所である。また、そこには、大祭司が年に一度だけ贖いの日に
入って、血の贖いをする所である。

この祈り方は、キリストのたとえの中にかかれている取税人と同じである。彼は、
『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と祈った。彼は主にあわれんでください
と祈って、恵みの御座(契約の箱)のある場所に向かっている。これはダビデがやっ
たやり方と同じである。

彼は、たぶん贖いの日のことを考えていたのだろう。私たちは、主イエス・キリスト
が私たちのために、血の贖いをしてくださったと言うことを今知っている。

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