Subject:
詩篇30篇 前回と批評
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2004/04/20 12:04
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

前回の研究を見て、気がついていなかったことを書きました。

■前回の研究

・6節の「わたしは決してゆるがされない」は、ダビデの傲慢か、正しい確信か。
・詩篇30篇の中には、対比されている所がたくさんあるので、対比する。
・神様の御顔について研究する(御顔を隠すと言うこと、御顔を慕い求めるについ
て)。
・ソロモンが神殿奉献したときの祈りと詩篇30篇を対比する。
・詩篇30篇はなぜ、神殿奉献の祈りとされているのか(「家をささげる歌」)。
・詩篇29篇には7回も「主の声」が出てきて、詩篇30篇には「聞いて下さい」が7回。

■コメント:

・詩篇29篇には7回「主の声」が出てきて、詩篇30篇には「聞いて下さい」が7回出
てくるというのは非常に興味深い研究である。詩篇29篇での「主の声」の順番につ
いてはよく分からなかったが、詩篇30篇にも何か順番があるのか。

・詩篇30篇とソロモンが神殿奉献したときの祈りがつながっていると言うことはよく
分かるが、なぜ詩篇30篇が家をささげる歌なのかがよく分からない所がある。

・わたしは前回も同じように言っていたが、6節の「わたしは決してゆるがされな
い」と言う所は、ダビデの傲慢ではなく、正しい確信だと思う。ヘブル語を見ればよ
く分かる。「平安」な時にと言うのがポイントだと思う。

5b 夕に 宿る 泣き悲しみが しかし朝には 歓喜が
6 そして私は 言った 安泰なときに 私は揺るがない 永遠に

・詩篇30篇の中には対比されている所がたくさんある。また、悪い状態から良い状態
になると言うことも良く書かれている。たとえば、11節などである。嘆き→踊り 
荒布→喜び

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