みーちゃんです。
詩篇30篇の研究で気がつくべきことをみました。
■構造について:
5節と6節の間を分けている人がいましたが、前回のホワイトボードを見ると分かるように、6節には「そして」という接続詞が含まれています。このことに気がつくことによって、すこし構造が変わってくるのではないでしょうか?そして、という接続詞を無視しないということになると、前半の4節と後半の8節が真ん中につながる、という構造になるようです。つまり、こういうことです。
1-3:前半
4-8:
8-12:後半
■詩篇30篇のタイトルについて:
タイトルには「家をささげる歌」と書いてありますが、詩篇30篇だけをみると、そのタイトルになる意味があまりよくわかりません。そういうときは、前回のホワイトボードに書いてあるように、ソロモンの神殿の奉献と比べることです。ソロモンの祈りは1列王記8:23からと、2歴代誌6:14にでてきます。
ソロモンはここで、神様の契約について祈っていますが、これは、正しい行いには祝福、悪に対しては呪いという契約です。彼は、神様に対して民の祈りについても願っています。その願いとは、神様が民の祈り、民だけではなく外国人の祈りをも聞いてくださいというものです。
詩篇30篇を見ると、神様が実際に祈りを聞き、それに答えてくださるということが分かります。詩人の祈りとは、嘆きが喜びに変えられ、怒りがあわれみにかえられるというものです。これが実現しているという場所が、詩人の求めている神様の家です。
■詩篇30篇の中の対比について:
前回の学びのホワイトボードにはたくさんの、対比についてこまかく研究されています。その中でも、自分の構造に適用したいのは、神様の御顔を隠さないでください、というはなしと、敵が喜ばないという話の対比です。
神様が御顔を隠してしまっているというのは、別の言い方で言えば、敵の思い通りになっているという状態で、敵が喜んでしまう状態にあるということです。しかし、詩篇30篇の場合、詩人はそのような状態ではなく、自分が神様のあわれみ、救いを喜ぶという状態に置かれています。
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