Subject:
詩篇30篇 +カンノパパの構造
From:
"+mikuni@kanno.com" <mikuniML@kanno.com>
Date:
2004/04/21 11:24
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは。菅野みくにです。

詩篇30篇の、今回の+カンノパパの構造についての説明を書きました。

詩篇30篇の6節の、「わたしは決してゆるがされない」という言い方は、ダビデの傲
慢なのか。正しい確信なのかがよく分からない。しかし、これは正しい確信であるこ
とが下を見れば分かる。

30:6 夕・涙 「そして」 朝・喜 「そして」 平和で言う ゆるぐことなし

ヘブル語を見ると、「そして」という接続詞がはいっていることが分かる。平和で
言っているゆるぐことないというのは、詩人が朝に喜び叫んでいる内容である。

  30:7  a)わたしを力の山に立たせた(恩寵による)
           b)御顔を隠され、おじまどう(御怒りはつかの間)
≒30:7 a)わたしは引き上げられた
           b)敵の喜びはつかの間

■+カンノパパの構造:

A)1 救い
  B)2-3 呼 穴から救う(死に対する勝利)
    C)4-6 感謝
         ・怒り → いのち
         ・涙 → 喜び
         ・とこしえに平和(叫び)

A)7 救い
  B)8-9 呼 墓から救う(死に対する勝利)
    C)10-12 祈り
           ・嘆き → 踊り
           ・荒布 → 喜び
           ・とこしえに感謝(叫び)

■まとめ:

このように構造を見たり、6節の意味を見たりして、全体を把握すると、この詩篇が
家をささげる歌にふさわしいものであることが分かる。

この詩篇は死に対する勝利、罪に対する勝利を喜び歌っている。

神殿は主に礼拝をする所である。礼拝の中心ではいけにえをささげ、祈り、罪の赦し
を求めると言うことである。

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