Subject:
今日の聖書研究でなるほどと思ったところ
From:
Date:
2004/04/21 11:32
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

今日の聖書研究でなるほどと思ったところをまとめました。

■詩篇30:6節について

6節を最初見てたときにはごうまんになっているのかと思ってしまう。
ここには二つの訳が考えられる。

ごんまんのときに言っているのと確信して言っているのと。
しかし、ヘブル本を見ると6節の頭にはそしてがある。
ということは前の説につながっているということである。

また、7節の最後のところにはおじまどっていましたがのがはない。
おじまどっていたということになっている。

私たちはダビデのように私は決してゆるがされないと言わなければならない。
問題は神様がやってくださるということなのかである。
神様がその心になかったらそれは悪者が言っているのと同じである。

また、主は怒るときに主を恐れ、こわがらなければならない。
しかし、人を恐れてはならない。神を恐れていれば人を恐がる必要はない。
主が怒るので私たちはゆらだいでしまう。

怒ってもゆらがないということは、
その人は主を恐れていないからこわがらないのである。

■私の山について

最初そこを読むとこれはなんだと思う。
ここも、二つの解釈ができる。自分を山の上に立たせるのか、
山を堅く立たせるかである。

もし、ここが山を堅く立たせるのであれば、
それはシオンの山、主の家の話になる。

なぜなら、詩篇30篇の台は家をささげる歌となっている。
ある人は自分の家をささげる歌とも解釈する。
しかし、それはどうかなと思う。

ダビデは主の家に住みたいと願っている。

彼はそこでただ、歌うためにいうくのではない。
礼拝するために行く。礼拝の中心はいけいにえである。
そこで神様にいけにえをささげる。

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