Subject:
詩篇30篇は家を捧げる歌(ケイヤ)
From:
Date:
2004/04/21 11:35
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇30篇の表題でこの詩篇は「家を捧げる歌」という言い方で呼ばれている。しか
し、ほとんどの注解書の中でこのことは無視されたり、ある人は間違ってこの題がつ
けられたと言う。また他の人はこの「家」とは主の神殿のことではなく、ダビデの家
のことであると言う。ほとんどの人がこのように言うのはこの詩篇の内容が主の家と
かけ離れているように見えるからである。そのためにこの詩篇は病気が癒された時の
詩篇とも呼ばれる。

しかし、昨日考えたこの詩篇のABCABCの構造をよく見て考える時にこの詩篇が主の家
を捧げる歌そのものであるということが分かる。

私たちがこの詩篇を読んで主の家を捧げる歌に見えないのは私たちの神殿についての
考え方が間違っているからである。神殿は礼拝し、祈り、賛美する場所ではあるが、
最も大切なのは「いけにえを捧げる場所」であるということである。礼拝の中心は犠
牲制度であり、犠牲を捧げたあとに私たちはそれを食べて、賛美するのである。私た
ちは犠牲を捧げることによって罪を悔い改める。主の御前に私たちが行く時にまず罪
を告白し、それからから礼拝が始まる。

この罪を悔い改めるということは2つのことにおいてこの詩篇とつながっている。1つ
は死に対して勝利するということにおいて、もう1つは祈って穴から助け出されると
いうことにおいてである。

・死に対して勝利すること

この詩篇の構造は1-6と7-12に分かれていてその中がそれぞれABCの3段階になってい
るということは昨日書いた通りである。このABCの部分は穴から助け出されるという
ことを中心にキアスマスのようなものと考えることもできる。そうするとこの詩篇の
中心的なテーマは穴から助け出される、つまり死から救い出されるということにな
る。私たちの救いの最も中心的な所はここにある。私たちはそのことによって「罪に
対する勝利」を得たことになる。それは死が罪に対する罰である(ローマ人への手紙
6:23)。

・穴から助け出される

穴から助け出されるということは死に対して勝利することであるが、ここから助け出
されるためにはまず自分が穴にいるということを認め、そこから助けを求めなければ
ならない。また穴に落ちたのは他の誰のためでもなく、ただ自分の罪であるというこ
とも認めなければならない。そのように認めて悔い改めることによって主は私たちを
助けてくださるのである。

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+KeiyaKanno
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