みーちゃんです。
詩篇30篇とソロモンの祈りを比べました。
■神様はどのようなお方か?:
ソロモンの神殿奉献の祈りは、神様はどのようなお方か?という告白で始まります。ソロモンは神様が契約、約束を守ってくださる愛なる方であると言っていますが、このポイントは詩篇30篇の中でとても大切なものであり、30篇のなかで強調されていることとして、神様が必ず救ってくださるということがあります。それは、神様が約束をまもるということと同じです。なぜなら、詩人は神様が約束を守ってくださる方であると信じてこそ、神様に救いを求めるからです。
■神様のみことばが堅く立つように:
ソロモンは神様に対して、みことばが堅く立つようにと祈っていますが、神様のみことばが堅く立つというのは、詩篇30篇の「私は決して揺るがされない」とつながっています。なぜなら、詩人は神様のみことばによって、揺るがされないという状態にあるからです。というのは、詩人が神様に信頼しているということです。
■祈りを聞いてください:
ソロモンは神殿を建て終わった時に、神様に祈り、宮での祈りを聞いてくださいと願っています。この願いは詩篇30篇のダビデの祈りで実現されていると言えるでしょう。なぜなら、ダビデは神様の救いを信じ祈っていた時に、神様は彼の祈りに答えてくださったからです。また、詩篇全体も祈りであり、その中にもたくさんの種類の祈りがあります。神様は、彼に信頼する者に対していろいろな方法で、答えをくださります。
■正しい報いをしてください:
ソロモンは神様に祈りへの答えを求める時に、敵への正しいさばきについても祈っています。正しいさばきというのは、正しい王の支配にはとても大切な者であり、反対に、悪い王様とは正しいさばきを行わないものということにもなります。では、詩篇30篇で正しいさばきは行われているでしょうか?答えは、行われているということです。詩人が言っているように、神様は敵をよろこばせることはさせず、かえって詩人が喜ぶようにしてくださいました。
■罪を犯したが悔い改めた場合:
ソロモンは民の罪への赦しについても祈っています。たとえ、民が罪をおかしたとしても、彼らがそれを悔い改めて神様の元に戻るなら、その罪を赦してくださいという願いです。神様への自分の罪の許しを願うというのは、神様のいかりがつかの間であるようにということです。詩篇30篇の詩人も同じことを求めています。そして、30篇では実際にそれが実現しています。
つづく
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