Subject:
詩篇31篇 主イエス・キリストとステパノの最後(ケイヤ)
From:
Date:
2004/04/29 12:30
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇31篇と新約聖書の中でも特に主イエス・キリストとステパノの最後を見て、似て
いる箇所をまとめました。

主イエス・キリストとステパノの最後が似ているのは「ルカ文学の構造 定型・主題
・文学類型」という本を書いたC.H.タルバート氏が言っている通りである。

ステパノは5つの部分において主イエス・キリストにつながっている。

まず主イエス・キリストはルカの福音書22:61-71で長老、祭司長たちがいる議会、つ
まりユダヤの中にある最高の議会に召還される。同じようにステパノもみことばを伝
えていたために同じ議会に呼ばれる。

彼らはそこで弁明するが、死刑の判決を受け、主イエス・キリストはクリスチャンで
はないユダヤ人たちによって十字架に架けられて殺され、ステパノも石打によって殺
される。その時に主イエス・キリストはご自分の霊を御父なる神に捧げ(ルカの福音
書23:46)、そしてステパノは主イエス・キリストに霊を捧げるのである(使徒の働
き7:59)。

2人とも無実の罪のために殺されるが、そのような中にあっても迫害をしている者、
自分の敵のために祈っているのである。ルカの福音書23:34で主イエス・キリストは
ご自分を十字架に架けようとしている人の罪を赦してくださいと願い、使徒の働き
7:60でステパノは自分に石を投げている者の罪の赦しを求める。

ルカの福音書22:69で主イエス・キリストは議会の人たちにご自分が御父の右の座に
着くことを見るようになると言われる。使徒の働き7:56でステパノはそれを実際に見
るのである。

このように迫害によって主イエス・キリストもステパノも殺されてしまったが、その
中にあっても神は働き、ルカの福音書23:39-43では十字架に架けられていた強盗が、
使徒の働き8:1-4では迫害によって散らされた人々が福音を伝えるのである。

このことは詩篇31篇とつながっていると考えられる。まず最初の所で主イエス・キリ
ストもステパノも偽証されるが、この詩篇の詩人は11-13で裏切られているのであ
る。

次にたましいを主に委ねるという部分であるが、詩篇31篇の5節と15節がそれに関係
あるように考えられる。なぜなら、たましいを委ねるということは主に信頼するとい
うことだからである。また5節にはたましいを委ねるという言い方もある。

この詩篇には迫害する者たちの赦しは特別にもとめていない。それよりも悪者のさば
きを求めることが目立つ。

右の座に主イエス・キリストがおられるのを見るというテーマはこの詩篇の中には特
別にでてこないようにも見えるが、右の座の前に「大能の」という言い方があるので
1-4と23-24の主の力というテーマにつながると考えられる。

この詩篇で死によって福音が伝えられるということは23節の聖徒につながる。聖徒と
は福音を伝えて、働いていく者だからである。

私たちはこの箇所を見て信仰のために戦い、恥を見ずに、主に信頼し、勝利しなけれ
ばならないということを学ぶべきである。

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+KeiyaKanno
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