Subject:
ルカ15章(放蕩息子=キリストのたとえ)の概略
From:
Date:
2004/05/12 11:36
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

ルカ15章(放蕩息子)の概略を見ました。

このたとえを二つに分けて見ることができる。
二つあるうちの一つ目はルカ15:11-24で弟のほうの話で、
25節からはお兄さんのほうの話である。

■弟(放蕩息子)

□テーマ

・お父さんに財産を分けてもらうように願う
・彼らはすべて財産を水のようにつかう
・父の所に帰って、罪を告白する

□構造

A 11-12 父は財産を二人に分ける(祝福)
  B 13 弟は家を出て行って、財産をすべてつかった
    C 14-17 弟は食べるものに困る
    C 18-19 父の所にいってこう言おう(決心)
  B 20-21 彼は父の所に帰って、罪を告白する
A 22-24 父はあわれみをもって、彼のために宴会をする

□問い

・ある人に息子がふたりあったということは、その家族には娘もいたのか?

・このたとえの前に二つたとえがあって、
そこで、見つかったときに隣人と共に喜んだと書いてあるが、
放蕩息子の時に、彼らは隣人も呼んだのか?

□気がついたこと

・死んでいた者にいのちが与えられる
(不妊の女に子が与えられるというストーリーを思い出す)
ハンナ ・ マリヤ......

□まとめ分

弟は父の家を出て、すべて与えられた財産をつかってしまい、
自分の食べるものに困る。
彼は父の所に帰り、自分の罪を思い出し、告白する。
父はあわれみをもって、彼のために宴会を開く。

■放蕩息子であった者の兄

□テーマ

・兄は畑から帰ってきて、しもべを呼ぶ
・兄はおこって、家にはいらない
・彼は父に対して、文句を言う(父はそれに対してあわれみで答える)

□構造

A 25-27 兄は家に帰ってきて、しもべを呼ぶ
  B 28 彼は怒って家に入らない
  B 29-30 父に対して文句を言う(理由)
A 31-32 しかし、父は祝福の言葉で兄に答える 

□問い

・ここで、なぜ兄は子山羊一匹といっているのか?
(羊ではなくて、山羊だということをあらわすのか)
思ってもいなかったことをいってしまった。
(マタイ25章で山羊は悪者として見られている、
しかし、いけにえは山羊でもよいといわれる)

□気がついたこと

・兄はこいうときにこそ、共に祝福を喜ばない。

□まとめ分

兄は畑から帰ってきて、父に対して怒る。
しかし、父は彼の悪のことばに対しても、
祝福の言葉で彼に答える。

■まとめ

弟は父が宴会をしようと言った時にそれを受け入れる。
ふつうの人なら、自分で息子になる資格はないといったら、
父の言葉に園領するはずである。

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