Subject:
詩篇32篇と放蕩息子のたとえ(こう)
From:
"Koh Aoki" <koh@arkios.co.jp>
Date:
2004/05/12 19:41
To:
"saiwainet" <saiwainet@yahoogroups.jp>

こうです。詩篇32篇と放蕩息子のたとえ(ルカ15:11-32)を比較しました。
 
 
●悟りのない者
 
詩篇32:9で「あなたは悟りのない馬などのようであってはならない」と書いてある。
放蕩息子は最初のころ父から自分の分け前をもらったらそれを使い果たした。
それで彼は詩篇32:9に書いてあるような悟りのない者である。
 
●苦しみ→罪の告白
 
詩篇32:3-4でダビデは苦しんでいる。
放蕩息子も同じように飢饉の時に苦しんでいる。
詩篇32:5でダビデは主に罪を告白している。
放蕩息子も苦しみの中で父を思い出して父のところに帰り、罪を告白する。
 
●守られるところ
 
詩篇32:7で神はダビデの隠れ場となってダビデを守られる。
同様に放蕩息子は自分の父の家にいるときは守られ、父の家は隠れ場のようなものである。
 
●救い・恵み
 
詩篇32:7・10でダビデは救いの歓声と恵みで取り囲まれている。
同様に放蕩息子は家に帰った時、父の息子の救いに対する歓声と父の与えた服や食べ物などの恵みによって囲まれる。
そして、正しいものたちが喜ぶというところも詩篇と放蕩息子についてのつながりである。
 
 
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Koh Aoki
koh@arkios.co.jp
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