みーちゃんです。
放蕩息子のストーリーについて書いてある、注解書を見ました。
この人は、前半と後半が7つの所に分かれて、対比されていると言っています。その中で、この人が中心としているのは、20節のB、Cの父が息子を見つけて、彼をあわれむという箇所です。また、この構造を彼が見た時に強調している所は、後半の兄についての話が、まとまった一つの話として考えられるということです。また、これはこのたとえに二つの中心があることを表していると言っています。
また、この人の注解書の中で、興味深いのは、兄についていうときにかっこで、第二の失われた息子!、と書いてあることです。なぜかは、分かりません。
著者は、放蕩息子の悔い改めについて、父へのざんげを息子が終わらないうちに、父は息子を受け入れいると書いてありますが、これは、その許しの箇所を気をつけてみれば分かります。また、この著者は父のゆるしについて話をするときに、この父のあわれみはキリストのあわれみとつながっていると言います。
A 12a 自分のものを分け与える
B 13b
C 13c-14a
D 14c,16a,17c
E 15b,16b
F 18,19
G 20a
H 20bc ここが真ん中だと言っている
G 20d
F 21
E 22-23a
D 23b
C 30a
B 30b
A 31c すべてお前のものだ
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:)
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