Subject: 詩篇32篇 ルカの福音書15章の放蕩息子の構造(ケイヤ) |
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Date: 2004/05/13 14:39 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
こんにちは、+KeiyaKannoです。
森彬著「聖書の集中構造 新約篇」を読んで、その中に書かれている放蕩息子の例え
の構造について見ました。
この放蕩息子の例えは全体的にキアスマスになっていると考えられる。
A 12a, b 「あなたのものを私に」(弟が父に)
B 13b 弟の家出
C 13c-14a 蕩尽
D 14c, 16a, 17c 飢えに苦しむ弟
E 15b, 16b 豚飼への零落と人々の冷遇
F 18,19 父へのざんげ(決意として)
G 20a 父のところへ出かける子
H 20b, 20c 息子を見つけて、深くあわれむ父(核)
G 20d 走り寄る父
F 21 父へのざんげ
E 22-23a 子としての復権と父の厚遇
D 23b 「食べて楽しもう」(父が弟息子に)
C 30a 蕩尽(兄が言及)
B 30b 弟の帰還(兄が言及)
A 31c 「私のものはお前のものだ」(父が兄息子に)
弟息子がこのように悲惨な状態になってしまったのは放蕩したり、大金を浪費したり
したからではない。父から離れてしまったからである。それで悔い改めた時にまず仕
事をしてもう一度お金をもうけると言うのではなく、父の所に戻ろうと言ったのであ
る。
20b, 20cのHが中心となっているのは、この例えの中心は弟息子などではなく、父で
あるということを表している。私たち羊が主の所に行ったり、銀貨が自分で戻ってき
たりしたのではない。主が私たちを捜し求めてくださったのである。
この例えは全体がキアスマスになっていると同時に小さなキアスマスが中にある。兄
息子の話(24節から)がキアスマスなのである。
A 24a, b 生き返り、見つかった弟
B 24c 開かれる祝宴
C 27b 帰還した弟(これまで父と別居)
D 27c ほふらせた肥えた子牛
E 29b 孝行息子(兄)
F 29c 兄の不服の申し立て(核)
E 30a 放蕩息子(弟)
D 30b ほふらせた肥えた子牛
C 31b 兄(いつも父と同居)
B 32a 開かれる祝宴
A 32b, c節 生き返り、見つかった弟
この構造によって放蕩してしまった弟息子と畑で忠実に働いていた兄息子が対比され
ているのではなく、あわれんで弟息子を受け入れる父と怒って弟を受け入れない兄息
子が対比されていることが分かる。
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+KeiyaKanno
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