Subject:
今日の聖書研究のまとめ(+ちゃんくん)
From:
Date:
2004/05/18 12:14
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

今日の聖書研究のまとめをしました。

■詩篇33篇の3年前説

前回の構造はキアスムスでABCXCBAになっていた。
そして、12節の幸いなことよを真中にしている。
12節の意味を知っている人はみんな真中にするはずである。
前回の構造があっているのかはわからないが、
構造の内容はうまくまとまっている。

■詩篇33:12節より前の節について

10節と11節は平行していて、主のご計画について書かれている。
12節より前の節を見ていると主のことばについての言い方がたくさんでてくる。
主のことば、主の仰せ、主の命令、主のご計画である。
はかりごとというと違うもののように感じてしまう。

主のことばの話がどこから始まっているかというと4節だと思うが、
そこにはキーがあって、3節につながっている。
だから、話は4節から始まるのではない、3節でもない、
なぜなら、3節は1,2節につながっている、同じ話である。

■詩篇33:12節より後の節について

こんど話がここでかわる、さっきまでは主のことばについての話であったが、
ここからは目についての話になる。
しかし、前のだんらくとつながらないわけではない。
目の話は13-19節である。

しかし、そのだんらくの中に16,17節がある。
目の話と救いの話がどうつながるのかはこまる。
ふつうに考えれば、神様が見てくださることは救いである。

ヨブは神様が苦しみを見てくだされば、すべては解決するということであった。
しかし、ここでの見るということは目を注いでさばくということである。
ちゃんくんは13-19節のつながりを次のように考えた。

13-15節でだれが救われるかを神様が区別している。
16-17節はこのような人は神様の救いにはくわわれない。
18-19節がこのような人こそが神の救いを得るのである。

まず最初に13-15節で神様からの問いかけがあって、
それに対する答えになっている。
15篇,24篇のようにだれが山にのぼれるのかこのような人が主の山にのぼれる。

ということで20-22節はどうなるのかというと、
20-22節は18-19節の理由というものになる。

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