Subject: 詩篇35篇から偽りと嘲りについて(+ちゃんくん) |
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Date: 2004/06/01 11:57 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 詩篇35篇から偽りと嘲りについて見ました。 詩篇35篇の中で口撃の内容は二つにわけて考えられる。 一つ目は偽りで、もう一つは嘲りである。 ふたつはわけることはできるが、つながっている。 詩篇35篇には嘲りの口撃より偽りの口撃の内容のほうがおおいきがする。 偽りの口撃についての説明ならいっぱい書ける。 偽りとはうそをつくことであって、 嘲りはばかにするということであって、 ばかにするということは恥をかかせるということにつながる。 ■偽りの同意語と反意語 偽りの反対は真実ということになるが、 詩篇35篇にはその言葉はないのでちがうということになる。 なら、義だと思うかもしれないがそかはわからない。 なぜなら、神様の義と私の義という言い方が出てくる。 でも、義ではなくて善ではないかという人もいる。 七節は偽りというキーワードの中にはいる。 なぜなら、ゆえもなくということばが二回もつかわれている。 詩人はこのようなことをされることはしていない。 彼らはうそをついて詩人を網に陥れようとしている。 十七節は偽りか嘲りかどっちにはいるのかという質問はあった。 最初さっと見たときには嘲りのほうかとは思うが、 しかし、十七節は偽りの方にはいるのではないか。 なぜなら、奪われなくてもよいものをうそをついてうばう。 奪うということばは10節にも出てくる。 だから、十節も偽りの方にはいるのだと思う。 ■嘲りの同意語と反意語 嘲りの同意語はののしり、欺き、 ということに詩篇35篇からだとそういことになるかな、 聖書からだと言われたらいくらでもある。 嘲りというときにおまえは詩篇をいつも学んでいるのに、 ぜんぜん祈りがせいちょうしないというのは、 あざけりではなく、真実をいっているだけである。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com http://saiwai.net/shinya/ -------------------------------------