Subject: ののしられてもののしりかえさないというストーリー |
From: +ShinyaKanno |
Date: 2004/06/22 10:40 |
To: <saiwainet@yahoogroups.jp> |
+ちゃんくんです。 ののしられてもののしりかえさないというストーリーを見ました。 ■アッシリヤの王セナケリブ(ラブ・シャケ)→ヒゼキヤ アッシリヤの王セナケリブはユダに上ってきて、 ユダの人々が自分に従うように、ヒゼキヤをののしる。 ヒゼキヤはののしられたときに神様に信頼して負けなかった。 彼は大いなる苦しみを受けても神様に信頼して、 ラブシャケに対してののしりかえすことをしなかった。 ■ゴリアテ→ダビデ ゴリアテはイスラエル人と戦うために来たとき、 イスラエルの人々はゴリアテが大きいのを見て恐れた。 しかし、神の子であるダビデは主を恐れてゴリアテと戦おうとした。 戦う前にゴリアテはダビデの王である主をののしった。 しかし、彼はその信仰を堅く保ち、ゆるがされることはなかった。 ■エリヤ→バアルの祭司(反対) このストーリーは反対の意味で、正しい人がののしっている。 エリヤの神とバアルの祭司たちが信じている神がどっちがほんものかを知るために、 祭壇を築き、彼らと戦った。そのとき、エリヤはバアルの祭司たちをののしった。 ■セツの子孫→ノアとその家族たち 直接はどこに書かれているのかはわからないが、 何回か聞いた話なんだが、セツの子孫はノアが神様に命じられて箱舟を造っていると きに、彼らはノアとその家族をののしったという。 しかし、ノアはそれでも彼らに対してののしりかえさなかった。 ■民のリーダーたち→ステパノ(キリスト) ステパノの箇所はののしるという意味のではない。 キリストの十字架ではみなはイエスをののしったと書かれている。 彼らはののしられても死ぬときには神様にこのように叫んだ。 「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と。 このように殺されるまでしても彼らは主をのろうことをせず、 彼らに対してののしりかえすようなことはしなかった。 ■ヨブの友人→ヨブ ヨブはこのような苦しい状態におとされても、 主をのろうようなことはけっしてしなかった。 また、ヨブの友人たちもヨブから離れ、彼を見捨てた。 しかし、彼は主が救ってくださることを待ち望んでいた。 それで、最終的に子どもは増え、自分の持ち物は二倍にされた。 このような人の行いに対して与えられる祝福は大きいことを私たちは知っています。 ------------------------------------- +審也@カンノファミリー mailto:shinya@kanno.com -------------------------------------