Subject:
詩篇46篇の構造【斎藤家】
From:
"Saito@COSMOS" <cosmos@ca2.so-net.ne.jp>
Date:
2001/07/27 13:24
To:
さいわい ネット <saiwainet@egroups.co.jp>

詩篇46篇の構造と質問を送ります。

>>>>> 構 造 <<<<<

■ 光 くん

A. 1-3          神は避け所(みわざ)
 B. 4-5          主の力はあがめられる
  C. 6-7          主は共におられる
A. 8            主のみわざ
 B. 9-10         主はあがめられる
  C. 11           主は共におられる

■ 京子 まま

A. 1            神は我らの避け所
 B. 2-3          我らは恐れない
  C. 4            いと高き方の住まい
 B. 5-6          都は揺るがない
A. 7-11         万軍の主は我らと共におられる

■ さいとう ぱぱ

A. 1            主は我らの避け所
  B. 2-3         【王の声】主にあって恐れない
    C. 4-5          主は都の真中におられる
  B. 6           【神の御声】御声に地は溶けた
A. 7            主はわがやぐら 我らと共に
  B. 8-9         【王の声】主の御業を見よ
  B. 10          【神の御声】私こそ神であることを聞け
A. 11           主はわがやぐら 我らと共に


いつもと違っていろいろな構造が考えられて、なかなか固まりませんでした。
最後まで悩んでいたのですが、松田さんのメールを見て決定しました。
でも松田さんというより歌恵ちゃんかな。

「神は我が避け所、また我がやぐら」というと第一巻でよく出てくる言い方です
よね。
(これは松田さんの指摘ですね。)
たとえば18篇でも同じように言っています。でも18篇では
「主を呼び求めると、主はその宮で叫びの声を聞かれ、ケルブに乗って飛び、地
を審かれる」
とあります。主は天におられて天から降りてこられます。
しかし、46篇では神は神の都の真中にいます。

そしてその神の都には川があります。
エルサレムには川は無かったと思いますので、川があるというのは比喩的な言い
方だと
思いますが、なぜ川の話が出てくるのか。(これは質問にもありましたね)
川というとまずエデンの園を思い出しますね。
エデンの園では4本の川がながれていて、全世界を潤していました。

カナンとの戦いでは、神のやぐらは移動式のものでした。
しかしエルサレムは神がたてられ、守り、支配し、その真中におられる要塞で
す。
全世界の中心として、全世界を支配する神殿であり、
神との平安があるエデンの園のように神が共にいてくださる場所です。
まさしくダビデが神に祈っていた「神と共に住む」ことが実現したのです。
詩篇23
 私はわざわいをおそれません。
 あなたが私と共におられますから。
 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう

エルサレムは新しいエデンの園として、神が共におられ、全世界を支配される場
所
としてたてられたことを4-5節で書いて(賛美して)いるのではないでしょう
か。

詩篇23は詩篇45にも関連していますね。
 あなたのむちとあなたの杖
 それが私の慰めです。
 私の敵の前で、あなたは食事をととのえ
 私の頭に油をそそいでくださいます。
 私の杯は、あふれています。

詩篇45,46も神の王国、神の支配についての詩篇のようですが、
詩篇23篇は神の王国に住む民の平安の詩篇ということなのでしょうか。