Subject:
46篇の5-6節 カルヴァン聖書註解
From:
"Miwaza Kanno" <miwazaML@kanno.com>
Date:
2001/07/28 9:09
To:
+さいわいネット <saiwainet@egroups.co.jp>

みーちゃんです。
46篇の5-6節についてにのカルヴァンの解釈を見ました。
 
■参考とした文献:
46篇の5-6節 カルヴァン聖書註解
 
■カルヴァンの5-6節の訳:
神がその真中に在ますので、それは身動きしません。
神は朝つとにこれに助けを与えられるでしょう。
もろもろの民は騒ぎ立ち、
もろもろの王国は揺れ動く、
神がその声を発せられる。
すると地は溶けて流れた。
 
■大切なこと:
預言者は、このように大きな確信がどこから教会に与えられるかを示す。
それは、神が、その真中にいるからである。
『神がその真中に在すので、それは身動きしません。』この文章は次のように解釈しなければならない。
「聖なる都は決して身動きすることはなく、その状態から揺り動かされることもない。神がそこに住まわれ、常にこれを助ける用意をしておられるからである。」と。
朝つとにということばは、預言者が「太陽が地上に姿をあらわしてからずっと終日」と言ったのと同じである。
なぜなら、救いの望みは全て、ただ神がともにいてくださるということにかかっているからである。
神の教会には、けっして敵がないわけではない。
かえって大きな権力をもつ者たちは、残忍にも、また激しい怒りをこめて、教会と戦いを交える。
今や預言者は、神の守りの確かさについて、彼が述べたあの教えを、自分の体験をとうして経験する。
最初に述べたように、ここでは神がその教会を守り・保つために示される大能と、永遠の恵みの堅固な証となった、ある明らかな救出について述べられている。
そういうわけで、預言者はすでに起こったことを述べている。
神様が御声を発せられたとたんに、彼らは溶けて流れ、消え去った。
このことから、私たちには、測るべからざる慰めが与えられる。
なぜかというと、「たとえ全世界がわれわれに逆らい立ち、狂気(狂ったような)のような高ぶりに燃え立って、全てをかき乱すとしても、神がわれわれに対し、恩愛に満ちておられることを示されるとたんに、全ては一瞬にして、無になるであろう。」と言われているからである。
 
■5節の要約:
もしわれわれが、神の御手のもとに守り・保たれたいと願うならば、神がわれらの真中にいるように、心がけなければならない。
 
■わたしのこれに対してのコメント:
ここでカルヴァンは、神の助け細かく説明している。
なぜカルヴァンは、『神様が御声を発せられたとたんに、彼らは溶けて流れ、消え去った。このことから、私たちには、測るべからざる慰めが与えられる。』と言っているのか私にはわかりません。
 
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 Miwaza Kanno
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 God bless you!
 !かにかに!かにかに!y(^o^)y
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