みーちゃんです。
詩篇39篇のクロスリファレンスを引き続き見ました。
■1コリント8章31節:
世の富を用いる者は用いすぎないようにしない。
この世の有様は過ぎ去るからです。
この1コリント8章はこの世の事と、神様の関係を話しています。パウロは世の富を使う者に対して、それを使いすぎないようにと教えています。その理由として、この世のものは過ぎ去ってしまう者だからだと言っています。詩篇39篇でも、この世のもの、また、この世に属するものはすべて空しいものであると書かれています。詩人は空しいと言っていますが、彼は主を望みとしているので、本当のむなしくないところを知っています。
■ヨブ2章10節:
しかし、彼は彼女に言った。
「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。
私たちは幸いを神から受けるのだから、
災いをも受けなければならないのではないか。」
ヨブはこのようになっても、罪を犯すような事を口にしなかった。
ここの箇所は詩篇39篇のなかで詩人が言っていた、どのようなことにも黙っていなければいけないということが、正しく適用されている箇所だと言えるでしょう。ヨブは苦しみに陥り、妻にまでも神を呪って死になさいと言われましたが、”罪を犯すような事”を口にしませんでした。彼は、どのような状態にあっても正しい意味で、口を閉ざしていたのです。
■詩篇32篇4節:
それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、
私の骨随は、夏の日照りで乾ききったからです。
詩篇39篇の詩人が弱ってしまっている一つの理由として、神様の手が詩人を打ったからであると書かれています。同じ問題は詩篇32篇にもでてきて、ここで詩人は神様の御手が彼の上にあり、そのために、疲れ果ててしまっているという事です。また、彼は自分の罪を神様に対して黙っているような事はせず、御前に言い表しています。
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