みーちゃんです。
詩篇40篇のヘブル8章に引用されているところを見ました。
あなたは、いけにえや穀物の捧げ物を
お喜びにはなりません。
あなたは私の耳を開いてくださいました。
あなたは、
全焼にいけにえも、罪のためのいけにえも、
お求めになりませんでした。
その時私は申しました。
「今、私はここに来ております。
巻物の書に私の事が書いてあります。
わが神。私は御心を行なう事を喜びとします。
あなたの教えは私の心のうちにあります。」
この箇所では、旧約時代のいけにえをささげることについて、話されています。旧約のときは、罪のためにいけにえを何度もささげていましたが、新約時代になってキリストか一度死んでくださった事によって、すべてはあがなわれ、聖なるものとされたのです。これは、キリストが永遠のいけにえをささげられたということです。キリストは、聖なるものとされる人々のために、永遠のいけにえをただ一度ささげてくださったことによって、すべては、聖よくなりました。これが、神様の喜ばれるいけにえです。
詩篇40篇に書かれている通り、神様は穀物のささげものなどを、喜ばれはしませんでした。神様は、全焼のいけにえなどを求めておられたのではなく、みこころを行なう事をよろこばれるのです。キリストが、いけにえをとして捧げられたというのは、神様のみこころです。旧約時代に、祭司たちはいけにえを日に何度もささげていましたが、それによって、罪が完全に除かれるという事はありません。
ヘブル11章の後半にでてくるように、キリストは私たちのために死んでくださる事によって、契約を結んでくださいました。また、死んでくださったキリストに逆らう者は、激しい火のさばきの日を待つものです。その、神様のさばきとはとても恐ろしいもので、彼らは死刑に処せられます。
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