Subject:
詩篇41篇 あわれみ
From:
Miwaza J. Kanno
Date:
2004/07/15 12:28
To:
saiwainet@yahoogroups.jp

みーちゃんです。

新約聖書の手紙の中で、あわれみのテーマを見ました。

■手紙の最後の言葉:

新約聖書の手紙のなかで、なんども最後のことばとして、主イエスの恵みがありますようにという言い方がでてきます。なぜ、主イエスの恵みかと言うと、主イエスキリストがあわれみ深い方だからです。それは、キリストのこの世での行動を見ても分かります。彼は、福音を伝えると共に、いつも人々を癒していました。その、主イエスの恵みとは、あわれみのことを話しています。人を癒してくださると言う、主のあわれみは詩篇41篇の1-3節にもでてきます。

■ステパノのあわれみの心:

神様は、正しい者や弱い者たちだけではなく、罪人や悪者もあわれんでください。事実、私たちは罪人でイスラエルのように、何度も罪を犯して神様に反逆する者であるのに、祈る時に助けてくださいます。ステパノは悪者たちに石打にされて、殺されてしまいましたが、それは、彼の神様についての福音のためでした、また、彼は殺されて死んでしまう時に、自分を殺したものたちの罪の許しを主に求めました。このように、ステパノは自分を殺す悪者たちをもあわれみました。しかし、私たちは兄弟をもあわれまないことがあります。それは、とても悪い事である事がわかります。

■兄弟愛(1ヨハネ1:9、10):

私たちが、まずあわれまなければならないのは、兄弟たちです。その兄弟をあわれむということを、兄弟愛と言います。この兄弟愛をもたないというのは、闇の中にいるということであることが、1ヨハネの1章で分かります。反対に、兄弟愛をもつものは、光りのなかを歩む事になります。光りのなかを歩むというのは、キリストの道を歩むという事です。

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