Subject:
詩篇44篇 詩篇77篇、詩篇78篇との対比(ケイヤ)
From:
Date:
2004/07/29 21:53
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

この詩篇が詩篇77篇と詩篇78篇に似ていたので、これらの詩篇がどのように似ている
のか、または似ていないのかを見ました。

●詩篇77篇と詩篇78篇の概略

詩篇77篇で詩人は苦しみ、主を思い出して嘆いている。彼は昔のことを思い出し、主
は恵みを与えてくださらないのかということを思ったりした。しかし、そのようなこ
とは絶対にないと確信し、主のみわざを思い出している。彼は主のみわざを思い出し
て、主が聖なる方であり、イスラエルをエジプトから導いてくださったということを
再確認するのである。

また詩篇78篇で詩人は自分の民に先祖たちが語ってくれたことを語り告げるから聞け
と言う。彼がこのみわざを伝えるのは彼らが主に信頼して、昔のイスラエルのように
逆らうことのないためである。彼らは主の命令に何度も逆らったが、そのたびに主は
恵みを与えて、彼らを覚えてくださり、彼らを導かれたのである。

●詩篇77篇

詩人は主に対していつも祈っているが、主が自分の声を聞いてくださっていないとい
うことに対して不安になっている。彼は主が拒んでいるかもしれない、忘れているか
もしれないということを考える。このことは詩篇44篇の最後で詩人が「起きてくださ
い、拒まないでください」と願っている願いにつながっている。また44篇では自分が
主の契約を忘れることはなかったので、自分を忘れないでくださいということを祈っ
ている。

彼は神が祈りを聞いてくださっていないかもしれないという時にあっても昔のことを
思い出している。また彼は主が答えてくださることを確信した時にもみわざを思い出
している。詩篇44篇の最初にこのテーマはでてくるし、神との契約を忘れないという
ことにもつながってくる。

詩篇44篇には明白にされていないが、詩篇77篇では神がみわざをなされたということ
を思い出す時に彼は特に出エジプトの2つのできごとを思い出している。紅海を渡っ
たことと、シナイ山で主の雲を見たことである。

●詩篇78篇

詩人は自分の民に先祖たちが語ってくれた主のみわざを語っている。彼が民に対して
語ったことがこの詩篇である。彼が昔なさったみわざを語るのは、申命記にもあった
ようにこのように、主を忘れず、主の命令に忠実であるためである。

先祖たちは詩篇44篇の詩人とは違い、主がなさってくださったみわざを忘れ、契約を
忘れてしまった。しかし、主はまたみわざを行ってくださった。しかし、それでもイ
スラエルは罪を犯した。これを何度も荒野の中でやったのである。しかし、その中に
あって主はイスラエルに対して怒るのに遅かったのである。

この詩篇の最後は興味深い。ここで主はイスラエルが滅ぼされそうになった時に目を
覚まされ、彼らの中からユダを選ばれた。主ははその中でもダビデを選び、彼にご自
分の民を導かせた。これは詩篇44篇の行いとは正反対である。主は恵みを忘れること
なく、祈りに答えてくださったのである。

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