Subject:
詩篇46篇 私たちが都(ケイヤ)
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Date:
2004/08/19 14:28
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

こんにちは、+KeiyaKannoです。

詩篇46篇では主がとりでであり、ともにいてくださるということが言われていたが、
新約時代、私たちの時代には私たちが神の都、とりでに住むだけではなく、私たちが
とりでとなるということが言われている。それで新約聖書の中でそのようなテーマを
見ました。

●エレミヤ書31:33, 34

今日の詩篇研究で見たのだが、エレミヤ書31:33, 34にこのテーマがある。ここでは
新しい契約の預言が書かれている。神は新しい契約を与え、民の心に律法を書き記さ
れるので、主を知れと言う必要はなくなるということが書かれている。ここの「律法
を書き記す」ということは御霊が私たちに与えられるということである。このように
神が私たちの中に住まれるということは私たちが神の都となったということである。
それは神の都がどのようなものなのかを説明している詩篇46:5を見れば分かる。

●マタイの福音書12:45、ルカの福音書11:26

主イエス・キリストは同じ例えを2つの所で使っている。その例えとは悪霊がある人
から出て行ったが、住み着く場所がないために同じ人に戻ってくると、その人は自分
の心の中をきれいにしていたので、他の悪霊と一緒にその人に住み着いたというもの
である。このように人が自分の心から悪霊を追い出すことはしても、神は住まわせな
いなら、もっと悪い状態になるのである。

●ヨハネの福音書1:14

この箇所も今日の詩篇研究で見た。

主イエス・キリストは言葉としてヨハネの福音書で紹介されている。同時に主イエス
・キリストは光であるとも言われている。このように言葉が住まわれるというのはエ
レミヤ書31章を思い出す言い方である。それで私たちの中にはみことばを解き明かし
てくださる御霊が住んでくださっているという言い方もできるが、同時にみことばそ
のものである主イエス・キリストも住んでくださっていることが教えられるのであ
る。

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+KeiyaKanno
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