Subject:
主は上って行かれたについて
From:
+ShinyaKanno
Date:
2004/08/26 20:40
To:
<saiwainet@yahoogroups.jp>

+ちゃんくんです。

主は上っていかれたについて見ました。

主は上っていかれたというテーマが出てくるとき、
一番最初に思い出す所は使徒信条である。
使徒信条にはこれと同じテーマが書かれている。

主イエス・キリストは十字架につけられ、三日目によみがえり、
天にのぼり、神様の右に座して高くあげられた。
いちじてきはすごく低い状態にあった。

それは私たちの罪を贖うために行われたのである。
自分から神様に身をささげた。
これこそ、私たちのみならうべき本物の愛である。

この世で愛というとただ、人を助けるだけで、
だれかのためにそれを行っているという心がぜんぜんない。
しかし、私たちは兄弟を愛し、神様のためにそれを行っている。

私たちは神様の御国を相続するものとして、兄弟を愛し、
神様の道を歩み、正しいさばきを行う。
御国では私たちはキリストとともにずっと王である。

神様は永遠の昔から、私たちの先祖たち、私たちを宝とし、
サタンの王国から連れだし、罪の奴隷から助け出された。
そのみわざを行われたイエス・キリストは私たちの王である。

愛には三つの関係がある、主と民、父と子、夫と妻である。
父と子の関係はキリストがバプテスマをお受けになったときにあらわされている。
主は言われる。「これは私の愛する子、私はこれを喜ぶ。」

夫と妻の関係はよく、黙示録の中であらわされている。
妻は夫の愛を見て、喜び、ほめ歌う。
教会であり、兄弟である妻は聖徒の行いを身に着ている。

不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。
正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」

主は上って行かれるのテーマを見るときに、
いろんなテーマがつながっているということがよくわかる。

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+審也@カンノファミリー
 mailto:shinya@kanno.com
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